あのときのパスタを、今は超えられるだろうか。

2019年の12月、今からおよそ4年半前に僕は何も知らないニュージーランドに降り着いた。23歳にして初めて親元を離れる不安や寂しさ、なんてものは微塵もなく、初めて自分一人で海外で生きていこうという将来に心を踊らせていた。Christchurchについた初夜、21時を過ぎているのにまだ明るい空を見て、ついに海外に来たんだと実感した。

初夜の空。

自分がどんな経緯でニュージーランドを選んだかを簡単に説明すると、「大自然溢れる国」というイメージに惹かれていたからである。戦略的かつ立派な理由などはなく、そしてサッカーが一番の理由でもなかった。

当時の僕としては、海外の色んな国でサッカーをしてみたいと思っていたし、そのためにはまずは英語を話せるようにならなくてはいけない。そうなるとワーホリ候補はカナダかオーストラリアか、ニュージーランドになってくる。そこから先は直感で選んだとしか言いようがない。

ちなみにニュージーランドの中でなぜChristchurchを選んだかというと、あまり都会に行きたくなかったからである。なるべくニュージーランドっぽいのどかな田舎の生活を経験してみたかったが、あまり地方に行ってしまうとサッカーができない。ちょうど良さそうな場所として選んだのがChristchurchであった。そこに下調べなどはなく、本を開いて地図と地名を見たときに「ここだ」と決めていた。

人生の決断はきっとそういうもんであると、自分は信じている。

パチもんのモレリア。

初めて作った料理はペンネにペストソースをかけただけのジェノベーゼパスタだった。22年間実家で生活してきた僕は、にんにくをオリーブオイルで常温から炒めてガーリックオイルを作ることも、茹で汁を加えて乳化させるとソースがパスタによく馴染むことも何も知らなかった。文字通り茹でたパスタにソースをかけて混ぜただけであった。

どれだけソースを混ぜてもしっくりこない味付けとなったパスタは正直言って美味しくはなかった。なのにこのとき作った茹ですぎたパスタの柔らかい食感や、まとわりつくほどにしつこいソースの味が今でも忘れられない。なぜだろうか。

初めてのパスタ。

ちなみにだけど僕はニュージーランドにきて一週間でファームに一ヶ月こもっている。WHOOFというサービスを使い、あらかじめ連絡を取っていたファームの人に街まで迎えに来てもらい、どこかわからない田舎町に連れて行かれた。迎えに来てもらうときにはなるべくメッセージでやり取りをしたかったが、何かあればすぐに電話をかけるというニュージーランドの洗礼を受けた。海外に向けて1年弱の英語を勉強をしてきた当時の僕は、彼が何を言っているのかマジでわからなかった。必死に自分が立っている道路の名前を連呼していた記憶は鮮明に残っている。

ファームでの生活は思っていたよりきつかった。朝6時位から夕方までひたすらフルーツのピッキング。体育会育ちの自分ですらなかなか大変な肉体労働だった。なにか指示を出されても何を言っているかわからなかったし、わかったふりして働いていて怒られたことも何度もあった。それでもここにしがみつかないとニュージーランドで生きていけないという危機感から必死にがんばった。決して悪い人ではないんだけども、今でもファームの雇い主の彼は好きになれない。そのくらい精神的なストレスがあったと思う。

ファームジョブあとのビールwith Chickens

だけど、豊かだった。自分に用意された小屋は汚いしホコリだらけで砂っぽかったし、もちろん電波もない。だけど、あの部屋では毎日のように快眠していた。

道路や裏の丘を散歩していたりすると、ポッサムやハリネズミ、羊の死骸を何匹も見かける。こんなにも生物はあっけなく死ぬし、こんな死に方もあるのかと死を間近に感じることで、目の前に広がる自然や社会生活が尊く感じたし、なにより生を実感した。

それが余計な不安をはじき出して豊かさを感じさせてせてくれたのかもしれない。

寝床の小屋。
vs 羊。

今思えば、自分のチーム探しの方法はなかなかROCKだったと思う。日本でなんの実績もない自分がお手製のプレービデオとCVを作り、どこが強いのかもわからないChristchurchのクラブにとりあえず送りつけた。今以上にニュージーランドのサッカーについて情報(日本語の)がなかった当時は、どんなリーグがあって、どこが強くて、給料はもらえるのかなど、何一つわからなかった。そんな状態でエージェントなしで「練習参加させてよ」って飛び込んで、何も知らなかったけどとりあえずChristchurchで一番強いクラブに入れたのは奇跡でしかない。

客として見ていたチームでプレーすることに。

やっと家も、仕事も、そしてクラブも見つけることができてニュージーランドで生きていくだけの土台が整った。銀行口座一つ作るのにも苦労するほど自分の英語力は乏しかったけど、それでもなんとかなった。さてこれからだ、というときにコロナでロックダウンした。

誰もが今までにはない生活を経験したし、この期間について話すと長くなるのでまた今度にしたいと思う。それでも孤独と不安、非日常。もともと1年しかいるつもりのなかったニュージーランドにコロナによって2年半も滞在することになり、そして結局今もニュージーランドで生活をしている妙実だけは記しておきたいと思う。

部屋に遊びに来ていた猫。コロナとともに姿を消した

さいごに英語だけ触れておくと、ほんとうにひどかったように思う。ファームでも仕事場でもチームでも、みんなにどれだけバカにされたてきたかは計り知れない。そこに悔しさなんかなくて、言葉の通じない自分にも優しく助けてくれる人たちに感謝しかなかった。その分、たくさん勉強もした。翻訳や辞書なしでは読めなかった洋書も何冊も読んだ。はじめに買った洋書が哲学書であったことは今でも馬鹿げていると思うし、なにも内容を覚えていない。そんな勉強が正しかったのかはわからない。勉強をせずにもっとコミュニケーションを通じて実践したほうが良かったのかもしれない。とにかくわからない。

それでもとにかく今は英語でコミュニケーションを取れるようにはなった。薄っぺらい挨拶のような会話だけではなく、少しずつ相手のことや、国のこと、文化のことについて議論できるようになってきた。それがとてつもなく嬉しい。これだけAIが進化して語学学習の是非を問われているけど、英語を話せるようになるために費やした時間に後悔はまったくない。

初めての洋書。

ともかく、そんなご縁で繋がったクラブでニュージーランドのカップ戦を優勝したり、他の国にサッカーで行けるだけのキャリアを作れたことは本当にラッキーだったと思う。いいことばかりではなく、不満もたくさんある。他のクラブや選手が給料をもらっている中、僕らのクラブは無休でプレーしていることに苛立ちを感じたことも何度もある。それでも自分なりにプレーすることに意味付けをして、なにか価値を提供したいと、そう思っている。一方で海外に出てから自分の仕事に満足したことは一度もない。28歳になろうとしている自分が、いまだにサッカーを理由に十分な仕事に就かないでいていいのだろうか。

何も話せなかった英語も今ではある程度コミュニケーションが取れるようになってきた。はたから見れば、海外で生活しているだけで立派に見えるかもしれない。しかし、そんなことはこれっぽちもない。まだまだ自分が理想としている英語力には程遠いし、実際にネイティブの人たちにもそう思われていることは間違いない。もっと、英語でも、堂々と。ハンデにならないレベルで英語でも仕事していきたい。

にも関わらず、ここ最近の僕は英語学習というものができていない。どこか自分を責めてしまいたくなってしまう。そんな毎日である。

格安ボール。

海外で生活していくうえで自炊という大きな武器を手に入れた。作ってきたパスタの数は数え切れないし、なんならこれを書き終えた今日も作ろうと思っている。和食だって、インド料理だって、パエリアだって。クオリティはともかくとして様々なレシピを作れるようになってきたと思う。ありがとう、料理系ユーチューバーたち。

二代目格安ボール。

さあ、自分は4年半前に海外に飛び出したときの自分を超えられているだろうか。あの頃抱いていたような将来の自分像になれているのだろうか。イメージしていたキラキラした海外生活とは裏腹に、地味で貧乏で、泥臭い生活を送っている。その中でも、4年半前と同じか、それ以上の炎を燃やし続けていられるだろうか。あのときのワクワクを今も抱けているのだろうか。あのときの、無謀で大胆なチャレンジを今の自分にできるのだろうか。

今の自分に、あのときのパスタを超えられるのだろうか。

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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