いま抱いている「課題感」について。

今日は今抱いている課題感について記しておこうと思います。僕がいまから書いていくようなことはこれまで26年の人生を通じて形成された価値観によるものだと思うのですが、主に海外に出たからこそ感じたことが多いような気がしています。海外で生活をしてからある一定期間日本に帰国をするとういう経験は人生の中でも貴重な期間のように感じています。そんな今現在の僕が抱いている課題感を今後の自分のためにも記しておこうかなと思います。

目次

Food Waste について

今回はフィリピン留学の様子

日本とニュージーランドで飲食店でアルバイトをしていた経験から食料廃棄に対して罪悪感というか問題意識を強く抱いています。日本では約4年間、某ピザデリバリー会社でアルバイトをしていました。そこでは賞味期限切れになった食材(主に日持ちの短い野菜類)を毎週廃棄処分している現状を目にしていました。また、作り間違えてしまったピザや、クレームの対象となったピザは食べられることなくゴミ箱に投げ入れられることが多々ありました。ニュージーランドでは2年近くローカルのカフェにてアルバイトをしていました。僕は主に皿洗いを担当していたので、お客さんの残した料理や、調理中にでた食材ゴミが僕の隣りにあるゴミ箱に滝のようにとめどなく運ばれてくる様子を目にしていました。クローズとして働いたときには、売れ残った商品が山のように残されることがお決まりの行事でした。スタッフが食べたいと思える売れ残り商品は持ち帰るのですが、もちろん飽きてきます。結局、多くの売れ残りはそのままゴミ箱に捨てられてしまうことがほとんどでした。

日本人だからか「もったいない」精神が心に根付いている僕にとっては、見ていてとても気持ちの良いものではありませんでした。

しかし、それと同時に簡単には解決できなそうだし、大量の売れ残り商品を渡された時は、僕も処理しきれずにゴミ箱に捨ててしまうことも多々ありました。

どこに課題感を感じているかというと、食べられるはずの食べ物が捨てられてしまうということは誰もハッピーになれないことにあると思います。僕はニュージーランドで果物農家で働いていた経験もあるので、収穫している人たちがどれだけ大変な作業をして、どんな想いで農家の方々が作物を育てているかを体感しています。あたり前のことですが、牛や豚や魚はもともと生きていた動物でしたが、我々が食べるために殺しています。飲食店で働いているとシェフの方々がどんな想いで料理を作っているか毎日目にしています。
食べられるはずの食べ物をゴミ箱に投げ入れるという行為はそれら全てを踏みにじる行為となります。

苦労して農家の方々が育てた果物は食べられることなく捨てられ、
食べられるために殺された動物は食べられることなくゴミ箱へ、
シェフがせっかく作った料理も食べられることなく捨てられる。

もっと問題を大きくして社会に目を向けると、世界では人口増加に伴って深刻な食料飢餓に悩まされています。調べたところによると、世界で生産された食料の1/3がゴミとして食べられることなく捨てられているようです。
食べたくても食べられないことが問題としてある一方で、大量の食べ物を捨てている現状がある。こんな馬鹿げたことがあるのでしょうか。
問題は深刻ですが、食料廃棄という問題は誰もハッピーになれない根深い問題だと感じています。

今の僕に何ができると言えば何も出来ていないのですが、飲食店で長年アルバイトをしたことで目にした問題に課題感を感じています。

学校のご飯。

サッカーの世界に対して

女子サッカーの練習を発見。

プロでもないにも関わらず20年以上サッカーを続けていて、しかも海外でのサッカーを経験したことによって、サッカーに対する見方に色々と変化を感じています。今回はざっくりと今抱いている課題を列挙していきたいと思います。

サッカーのコーチがいない

フィリピンにいった時に子どもたちにサッカーのコーチを頼まれた経験があります。カタコトの英語で話を聞いてみると、「サッカーをしたいのだがやり方が分からない」とのことでした。日本にいたらそこら中にサッカーコーチがいるし、クラブに入らなくてもサッカーをかるく教えれる人はたくさんいます。しかし、フィリピンの僕がいった田舎町ではサッカーはマイナースポーツだし生活レベルも高くないのでサッカーを経験している人がまずほとんどいないです。子どもたちは誰も靴を履いていませんでした。こういった環境で「プロになりたい」と思っても不可能に近いことを人生で初めて知ることになりました。住んでいる環境や、生活レベルによって望むことすらも叶わない現実があることにイチサッカー選手として課題感を感じています。

彼らのコーチになりました

サッカーをするにはお金がかかる

ニュージーランドやオーストラリアでコーチを経験したことによって、子どもたちがサッカーをするために親がどのくらいのお金が必要になるのかを知ることになりました。サッカー用具一式揃えるだけでもそれなりのお金がかかりますし、スクールやクラブに通わせるとなると費用は跳ね上がります。僕自身がお金にぎりぎりの生活をしていることもあって、このままでは子供を産んでも子供にサッカーをやらせてあげることは不可能だと痛感しました。そんなことを考えていたちょうど同時期に、lovefootball japanのレポートを目にしました。そこでは「日本(回答者)の30%の家庭が、子供にサッカーをさせるために借り入れをしたことがある」という結果を目にしました。かなり衝撃的でした。

サッカーで遊ぶための場所がない

これは海外から日本に帰ってきてから気づいたことです。日本でサッカーで遊ぼうと思っても、ボールがけれる公園すらないことに気が付きました。サッカーをするのにもお金がかかるのに、無料でサッカーで遊ぶための場所もないことに絶望しました。

送り迎え問題

こどものサッカースクールをしていて、子どもたちがスクールに来るために親の送り迎えが必要なこと、そして親が送り迎えが出来ないがためにこどもたちがスクールに来れない課題がありました。親も大変だし仕方のないこともあると思いますが、親の事情によってサッカーが出来ない子供がいることに課題感を抱きました。

どこに生まれるか

サッカーという競技を考えると、人口が多い地域が有利であるように思います。試合をするには22人は必要ですし、練習をするにもある程度の人数を要します。しかし、人口の少ない田舎町に行くとサッカーをできるだけの人数がなかなか揃わないことが分かります。僕は一人でボールを蹴ることが多いので自主練習の大切さを人一倍重要視していますが、それ以上に限界も感じています。問題点としては子どもたちは住む場所を選べないということです。親の事情によって住む場所が確定し、それがもし人里離れた田舎になるとサッカーをすることことが難しくなります。そのなかでどんなにサッカーが好きだとしてもプロになれる可能性はかなり低くなってしまうだろうと思いました。とはいえ、僕は田舎が大好きなので、これだけ発達したテクノロジーによってなんとか解決できないのだろうかと考えています。

ベジタリアンにとって生きにくいサッカーの世界

自分で選んでやっていることなので文句や言い訳をするつもりはありませんが現状としてベジタリアンにとってサッカーの世界は生きにくいと感じています。

主にチームから用意してもらう食事面です。試合後に用意される食事、遠征時の食事でチームがうまく管理をしてくれないとベジタリアン用のご飯が用意されていないことがよくあります。そうなってしまうと食べられるものがかなり制限されてしまうので不便に思います。また栄養摂取のためのアイテムなどもまだまだ少ないと感じています。トレーニング後にタンパク質を摂取しやすいチキンやかまぼこは多く販売されていますが、植物性の食品はまだ開発が少ないと感じています。日本には豆腐バーという素晴らしいものがありましたが、海外にはまだまだなさそうです。
何が問題かってアレルギーなどを持つ人がまだ生きにくい環境であることです。僕のように自ら進んで食事制限している人は自分で対応をすれば良いですが、アレルギーなどを持つ人はそうはいきません。そんな人達にとってチームスポーツであり、フィジカルを重要視するサッカーという世界は、生きていきにくい環境であることを自分がベジタリアンになったことで初めて気が付きました。

日本のベジタリアン・ヴィーガンオプションの少なさ

屋上で異臭を放っていたドリアン

日本に帰ってきてからベジタリアンとしての外食の難しさを痛感しています。海外では当たり前にあったベジタリアン用のメニューが日本にはほとんどないからです。店選びの時点で勝負が決してしまうことがほとんどです。これではたしかに日本ではベジタリアンとして友達などとご飯に行くことは簡単ではないと思いました。どこに課題があるかというと環境問題の観点からです。ヴィーガンやベジタリアンは健康の観点から取り入れている人だけでなく、環境問題の観点から採用している人も多くいます(動物愛護が理由の人もたくさんいます)。そういった人たちが生きていきにくい世の中はどうなのかなと正直思います。「自分で選んでいるんだから仕方がないだろ」とは僕は思いません。地球や環境のために行動をしている人が生きていきやすい世の中であるべきだと僕は思うし、そう願います。

実家の本棚で眠る本

教室(部屋)に貼ってあった張り紙。

基本的に海外で生活をしていくため実家の僕の部屋にある物は置かれているだけの状態になります。自分で言うのもなんですが、僕の部屋にある本棚はなかなかイケてると帰国して思いました。種類はそこまで多くないものの、漫画もきれいに揃っています。小説やビジネス本、僕が気になった本が本棚に並んでおり、3年ぶりに帰国してみてもまた読みたいと思える本がたくさんありました。
そんな本たちも僕が海外にでている3年間の間は、誰にも読まれることもなくただただ本棚に置かれているだけでした。これから海外に出ればまた同じ状況になります。本棚に並ぶ本はある種のコレクションのような一面も持ち合わせていて、見ているだけでも気持ちの良い側面もあります。しかし、流石に海外にいるとなると本の存在意義を無駄にしているような気がして申し訳なくなってきます。もっと言えば、親の実家とは言えどこの家のあの部屋にも家賃というものがかかってきます。読まれることもなくただ存在しているだけの本に、スペース代としてお金がかかっているのはちょっとどうなのかと思うようになってきました。
次海外にでていくまでには何か有意義な活用をしていきたいと考えています。
このブログを読んでいる方で本がほしいという方は連絡してください。

引っ越しのたびに出る食料・衣料ゴミ

帰国最終日にフィリピンの子どもたちと泥だらけになってサッカーをしたのが良い思い出

3年間の海外生活で6回の引っ越しを経験しました。その都度に感じていたことは、引っ越しの度に出る大量のゴミです。特にニュージーランドからオーストラリア、オーストラリアから日本という大引っ越しのときには捨てざるを得ないゴミが大量にありました。何が問題かというと、僕が捨ててきた衣料や食材はほとんどが使える状態であったことです。使えるのになぜ一緒に持っていかないかというと、送料より捨てて新しく買ってしまったほうが安いからです。引っ越しに慣れてくれば、計画的に物を譲ったり、フェイスブックなどで売ることも出来てきました。衣料もなるべくリサイクルに回すなども出来ました。それでもたくさんのゴミが最後の引っ越しでも出てしまいました。はじめにFood waste に嫌悪を感じなんとかしたいと言いながら、自分自身が多くの食料を無駄にしていました。
心では思いながらも、違う行動を取ってしまう。そこにむずかしい問題が潜んでいると思うし、コスト的にむずかしいのだろうけど、なんか素晴らしいサービスが生まれればいいなと引っ越しの度に思っていました。

さいごに

リゾート地にもいきました。

ほかにも思うところはたくさんあるのですが、今回はここらへんにしておきます。
僕が今回挙げている課題に共通していることは「お金を稼ぐ」ということと非常に相性が悪いということです。自分なりに解決策を少し考えてみたりはしているのですが、お金を稼ぐことが大変そうだということが僕にでも分かります。ですが、ビジネスとはこういった課題を解決するために存在するものだと思うし、解決策はかならずあると思っています。僕の乏しい知識と行動力では解決するに至ってはないですが、近いうちになにか行動にお越していきたいと思います。もし一緒に同じようなところに課題感を感じている方がいましたらぜひ一緒にやりましょう。

こんな綺麗事はお金を稼いでから言え。
そうです。未だに僕は無職でお金を稼いでいない状態なのでまずは目先のお金を稼いでいかないと生きていくことが出来ません。まずは仕事を見つけお金を稼がないとですが、そんな状態でも自分の人生で解決していきたい問題意識を持っていければと思います。
金銭的、人生的不安と理想の間で苛まされながら今日も生きていきたいと思います。

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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