海外で生きていくということについて。

最近は海外に出ることのメリットは何なのだろうかと考えている。別に日本より海外のほうが良いだとかそういう話ではないし、僕はむしろ日本がめちゃくちゃに好きだ。
それでも「海外に住んでみることが人生にとって何かしらの価値がある」と仮定したとして、それは一体何なのだろうか。

僕は気づけば今年で27歳になった。サッカー選手としてもそうだし、普通に生きていても「若い」と見られることが減ったように感じるし、自分でも自覚している。学生の頃にイメージしていた27歳の自分は、仕事にも慣れてきて社会人として少しずつ成長してきて、もしかしたら結婚して子供もいるかもしれない、そんな未来を想像していた。

ところが現実では、なぜか海外にいるし、まだサッカーも続けている。そしてまさかの無職である。こんな自分を就活真っ最中の大学生の僕がイメージできたであろうか。

Christchurchの街並み。(飛行機揺れすぎて死ぬかと思った。)

正直言って無職はきつい。理由を話すと難しくなるのだが簡単に言うと、ニュージーランドに滞在するためのビザの関係で働くことができないのだ。「サッカーをプレーすることでしかお金を稼ぐことが許されない」にも関わらず、給料の出ないチームを選んだ阿呆が、僕である。

もう一度言わせてもらうけど、無職はきつい。貯金が増えることはないし、少ない所持金が減り続けていくのを眺めることしかできないのはメンタルに非常に悪い。早くニュージーランドでコーチ業を始めたいのだが、ルールには従わざるを得ない。ニュージーランドに住むために次のビザを申請する必要があるので、あまり下手にリスクを犯せないのだ。

そんなこんなで27歳にして僕の経済能力は極めて低いのが現実である。恥ずかしいがこの現実は受け止めなくてはならない。

だがしかし、こんな生活しかしていない僕だけれども、自分が不幸だとは思わないし、むしろ結構楽しく生きさせてもらっている。普通であれば、無職でお金も稼いでいなければ不安で夜も眠れないはずだ。しかし僕はきっちり8時間は熟睡できている。

なぜだろうか。そこに僕は海外で生きていくことのなにかが隠れているのではないかと思う。

さすがのガーデニング大国

ここ一ヶ月は新しく住むための家探しに奮闘していた。これまでの海外生活のように他の人とシェアハウスをする形ではなく、彼女と二人で住むための家を探していたので、難易度は格段に上がった。タイミングを悪くして、ニュージーランドの家賃は上昇しまくっているし、何故か分からないが引っ越しを検討している人が大量発生し、えげつない競争率であった。
それにプラスして、自分の経済力。上手く誤魔化さなければ信用を得られず家を借りることもできない。結果的に無事に家をゲットすることができたが、僕はこの家探しで多くのことを経験した。

オープンハウスで気に入った家を見つけると、大家さんに応募方法を聞いて、後に応募するのだが、良い家はみんな欲しがる。もちろん競争率が高い。たくさんの応募の中でどうやって選考するのか分からないが、オープンハウスでの印象で決める以外に考えられない。

すなわち大家さんとのスモールトークが勝敗を決するのだ。そしてこれは僕がとても苦手な部分である。日本語ですらも人見知りなのに、英語だとその難易度は爆上がりする。

そんな自分がなんで勝ち取れたのか考えてみたが、たぶんだけど5分前に現地到着していたことだと思う。日本で育った僕にとっては当たり前のことだが、こういった大事なイベントには遅れないように5分前には到着するようにしていた。きっとそれが誠実ポイントに評価され、選考された。
日本人であれば当たり前のことであるが、ニュージーランドからするとそうではない。日本で育ったことに感謝した。

最近はこんな感じのタウンハウスが流行ってる。

そこから契約をするまでメールでやり取りをするのだが、大家さんからの返信はとても早かった。メール受信後から24時間以内に入金と契約書にサインして返事しないと契約を先送りにされるという急かしようだった。もちろん僕らはせっかくの家を逃したくないので誠意を尽くし、やりとりを続けた。大家さんも「質問があったらなんでも言ってね!!!」とものすごく気さくかつ迅速な返信をしてくれていた。

しかし、契約が決まった次の日に大家さんに連絡をしたら、全く返ってこなくなったのだ。あれほど早かった返信が嘘のようにピタリと止んだ。内容としては「家の寸法を知りたいので、現在住んでいる人に家に伺ってもいいか聞いてほしい」というものだった。大家さんからの返事はなく、いきなり現住民からメッセージがきた。

きっと大家さんからすれば「繋げてあげたからあとは勝手にしてね」と思っているのかもしれないが、一言くらい僕らに連絡してくれてもいいのではないか。そう思うのが日本人的な感覚である。ビジネスが完結した瞬間に態度が一変する。
日本人ならそう思ってしまうが、ニュージーランドからしたらこれが普通なのかもしれない。いや多分普通だと思う。だからこれはそういうもんだと思わなければならないのだ。

どの家も庭はこんな感じ。

合計で10軒を超える家を見学したと思う。印象的だったのは現在インド人が住んでいると思われる家だ。スパイスの匂いが家に染み付いていて、見学のあいだの5分間だけでも正直きつかった。あの匂いが取れることはないだろうし、インド人が住んだあとの家に住むのは無理だと確信した瞬間であった。

そして「仮に自分が家を貸す側であったとしたら」を同時に考えていた。正直にいって、インド人に貸して家をスパイスの匂いにされるのはキツイと思った。

そして同時に気がついた。「これは差別なのか?」

彼らにとってスパイスを使うことはあたり前のことであるし、根深い文化である。日本人からすると味噌汁や白ごはんを禁止されるようなものである。そのスパイスのせいでもし家を借りづらくなっているとしたら、それは相当なアドバンテージになる。実際にこんな問題があるのかも知らないが、ビジネス的な判断を考えたら、あり得ることだと思った。

幸い僕ら日本人は、世界的に見てきれいを好むし、家では靴を脱ぐからマットレスを汚す心配もない。そういった点では、借りやすい立場にあるのかもしれない。

トイレとシャワーが同じ、湯船がないのが残念なところ。

差別なんかしたくないし、偏見も持ちたくないが家探し一つをとってもたくさんの経験をした。
日本では当たり前であったことが、海外では当たり前ではない。
日本人としては当たり前と思っていたことが、外国人からすると当たり前ではない。

海外で生活をしているとこんなことが日常茶飯事である。
だから結局、それもありだよね。と周りの人を尊重したり受け入れていかないとやっていけないのだ。
日本人ばかりが住む日本に住んでいると、こういったことが非常に少ない。海外と比べるとだ。

こういったことを経験すると人間として立派になれるとか、ビジネスに活かせてお金持ちになれるとかそういう話ではない。それは僕が証明している。英語を話せるようになったって、無職で経済能力もない人間がいるのだ。

それでも楽しくやっていけるのだから、やっぱり海外に住んでみることにはなにかしらの価値があるのではないだろうか。

日本で生活をしていて何か満たされないのであれば、それはきっと海外に出ていってみるタイミングなんだと、きっとそう思う。

近所のスーパーの看板猫。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

コメント

コメントする

目次
閉じる