2025ーIndependence と Altruisticについてー

2025年の生活について少し。

と、その前に僕の2024年についても少し振り返ろうと思う。

Castle hill

2024年、僕はほぼほぼ無職のままスタートをきることになった。かれこれ海外に出てからサッカーで給料をもらいながら生活することも、現地で働きながら生活することも、無職の生活も、本当に多くの生活を経験してきた(望んでいないものがほとんど)。そして2023年にニュージーランドに渡ってからは、リモートで日本の仕事をしながらニュージーランドで生活をするという訳のわからない生活を送っていた。幸いなことに、仕事を多くもらいそれなりに働かせてもらうことができたのだが、そもそもの最低時給が2倍ほど違うニュージーランドで、日本のアルバイトをしながら生活をしていくことはかなり苦しかった。

しかし、この5年間くらいの多くの経験で僕の感覚は若干麻痺しており、なんとかなる気しかしてなかった。そして、なんとかなったのだ。

Mt cook

5月に申請していたビザがおりて、正式にニュージーランドで働けるようになった。とりあえず以前に働いていたカフェですぐに働かせてもらえることになり、失いまくった貯金を少しでも取り戻すことにした。そしてその傍、ニュージーランドで初めてフルタイムの仕事を探し、就職活動をした。

ただ、いざ就職活動を始めてみると自分の悪い癖がまた現れる。募集要項などを見てもあまり心が動かされないのだ。もしくは、面白そうな仕事は条件も厳しく、今の自分には届かないものがほとんどだった。その結果、僕は自分で事業を始めることにした。

Winery

10月からついに自分のサッカースクールを開設した。外国人選手はクラブでコーチしながら、自分でプライベートレッスンを行うのが一般的なのだが、僕は自分でサッカースクールを開くという手段を選んだ。ここについての想いはかなり長くなるので割愛させてもらうが、一つだけいうならば、僕は「サッカーを教えたいのではなく、あくまで環境を作りたい」ということだ。そして、働きながらとても充実感を得ることができている。

Trees

さて、2025年について。年末年始の日本帰国をふまえて。

Rain, shinjuku

日本への帰国はとても楽しかった。家族や友達に会うことは何歳になってもかけがえのないことだと毎回思う。往復30万円の航空券も、その価値があったと思えるほどに。ただ、一方で日本に対して思うところもたくさんあったことも事実だ。ここについてはまた今度しっかりと書きたいとおもう。

まず、これまでの5年間と違うことは”戻れる環境がある”ということだ。これまで新しい国やニュージーランドに行くときは必ずゼロからのスタートだった。それならではのワクワクや刺激もあるのだが、不安もかなり大きいことは忘れてはならない。

しかし、今回の帰国は全て戻れる場所があった。ニュージーランドに戻ったら次の日には仕事があるし、サッカークラブも基本的には今年も契約できるだろう。帰る家もあり、週末には自分のサッカースクールも再開する。”やることがある”ということがどれだけ精神的安定をもたらしてくれるのか、この波乱に満ちた5年を経験した僕にとって今回はとても安心した。

それと同時にもう言い訳できない環境であることを実感しているのである。今まではビザを言い訳に仕事をしない、お金を稼げない時期があった。しかし、今はオープンワークのビザなので、好きな仕事もできるし、起業することだってできる。

さらに、これまではクラブとの契約やサポートを受けていたので、必然的にプレーするクラブも決まっていた。しかし、日本に帰国している間に支給されていた車を没収され、来シーズンは車の支給もないことが発覚した。周りの選手同様に、特別なサポートなしでプレーするようになる。

Debut for green car(train).

裏を返せば、もうクラブに縛り付けられることも無くなったということだ。何かあったときにチームを自分で選んだという責任が付き纏うようになる。良くも悪くも自由の身になったのだ。車を貸してもらえないからというだけで、チームを変える気にはならないが、変化を起こしても悪くはない気もしている。現時点で来季プレーするチームはまだ決めていないけど、自分なりの信念を持って選んでいきたいとおもう。

つまりだ、仕事も自由に選べるし、チームも自由に選べる環境にようやく辿り着いたのだ。よく言えば、これは自由である。しかし、自由には責任が付き纏う。ここをどう捉えるかは自分次第なのである。

Vege shop

去年あたりから、僕は漠然と”国とは何か”を考えるようになった。特に海外に出てからは、日本という国がいかにユニークで変わった国なのかを実感しているし、ここニュージーランドで”外国人”として住む自分(日本人)が、どのように見られているのかを考えるようになった。

「国とは人である」
アラバスタ王国のコブラ国王はそういった。

もしそうであるならば、僕は”日本人”をもっと理解しなくてはならない、そう思った。昨年はコテンラジオを聞き倒したこともあり、少しずつ自分たちのルーツが見えてきた(まだほとんど見えてない)。
今年も引き続き、こんなところに権限的な知的欲求があることを頭におきつつ本を読んでいきたいとおもう。

Underground

最後にサッカースクールについて。先にも述べたが、僕はあくまで環境を創りたいのである。どんな環境かというと、「その地に住む子供達(子供じゃなくても良い)が、サッカーを通じて世界を広げられる場所」である。海外生活を現在進行形で経験している身から言わせてもらうと、他の国文化を知ることは必ず視野を広げてくれる。視野を広げればもっと寛容になれるはず。極論、もっと寛容になれば戦争などといった争いは減らせるはずだと、僕は考えている。

綺麗事と常に裏合わせなのが現実である。事業である以上、しっかりとマネタイズをしていかなければならない。自分の生活だってある。単純な話、生活を楽にしたいならばお金を稼ぐことが手っ取り早いし、お金を稼ぎたければ、スクールの選手ももっと集めるか、参加費を高くするかである。しかし、選手を増やして指導の質を下げたくないし、単価を高くして機会損失を生みたくもない。

Hanayashiki

なぜなら、最もやりたいことは「なるべく多くの子供達(子供じゃなくても良い)に世界を知れる環境を創る」であるから。あくまで利他を追求することが、僕個人の幸福度も高めてくれることはこれまでの生活でなんとなく分かっている。しかし、犠牲になりすぎるのもよくない。

利他的とは犠牲のうえにしか成り立たないのか。そうではないと思う。
理想と現実の間で生かされる。そんな一年になることは間違いないように思う。

今年がこれまでと違うところは、しがらみが無くなったということだ。クラブとの契約上の特別なサポートをなくなり、自由にチームを選べる立場になった。ビザの問題もクリアして、今はどこでも働けるようになった。何をしようが自由なのである。もう言い訳はできないのである。

The way how we get on the plane

自分はどこまで自立(色んな意味でね。)できるだろうか。

楽しみである。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

コメント

コメントする

目次
閉じる