「不安」の正体について。ロックダウン生活を終えて

先日、政府からのアナウンスにより9月7日23:59をもってアラートレベル3が終了し、明日からアラートレベル2に移行します。
つまりこれをもってロックダウン生活が終了したと言えます。

ロックダウン(〇日目)1234567891011121314151617181920
新規感染者数(人)611112121354162687082835349754928202021
https://www.health.govt.nz/our-work/diseases-and-conditions/covid-19-novel-coronavirus/covid-19-data-and-statistics/covid-19-current-cases

新規感染者数は減ってきているものの20人ラインからなかなか減らず、恐らく政府の狙いであろうデルタ株コロナの完全制圧にはまだ時間がかかりそうです。

レベル2なるとなにが変わるかというと多くのショップが営業を再開できます。
レベル3では店内に立ち入ることが出来ず、テイクアウェイのみでしたが店内営業を再開できます。
しかし、マスク着用の義務や収容可能人数50人などと営業を再開したところで利益が見込めないという厳しい声も多く出ているようです。


個人的になにが大きいかというとサッカーが再開します。キャンセルを懸念していたカップ戦も無事に日程が決まり、リーグ戦も来週から再開することが決まりました。


さて、今回なにを話すかというとタイトルにもある通り「不安の正体」についてです。

ロックダウン生活が終わりを迎え、この三週間のロックダウンを振り返ると正直言って最高の精神状態ではありませんでした。心のどこかに「このままでいいのか」という気持ちを抱きながら生活していました。
なぜそう感じてしまったのか。どう過ごしていれば最高の精神状態を維持できたのか。

少し考えていきたいと思います。

半年間の無職生活、そして今回のロックダウンを経験。プロでもないサッカー選手が仕事しないというのはどういうことのなのか。
僕なりの視点で書いていきたいと思います。

半年間の無職生活

思い返せば、つい二か月前まで僕は半年間の無職生活をしていました。
完璧に半年間なにも仕事や収入がなかった訳ではないのですが、少なからず最後の三ヵ月はほぼ収入なしの無職生活でした。

どうやって生き延びたかはこちらを読んでください。

note(ノート)
半年間の無職・無収入生活を生き延びた理由のすべて。|タグチユウヤ 半年間のビザ問題についに終止符が打たれました。 半年ほど前にこんな記事を書きました。 ワーキングホリデービザが切れた2020年12月上旬。 ニュージーランドはコ...

「自分ってほんとうに無力だな」

一言で表せばこんな心境が半年間続きました。
契約しているチームのシーズンが続いているうちは、チームが仕事を与えてくれそこで給料をもらうことが出来ました。しかし働いたと言っても週に15時間ほど。チームメイトはフルタイムで仕事をしてから練習に来ているのに、自分は何もせずにフレッシュな状態で練習に来ていることに負い目を感じてもいました。
チームから与えられる仕事といってもそれは誰にもできるもの。日本語でいう雑用というものです。
ソーシャルやキッズのレフリーや、ホームグラウンドの掃除や芝刈りもしました。週末にピッチに立っている人間がまさかそのスタンドのごみ拾いや掃除をしていることを想像できるお客さんはいなかったと思います。

ただ僕は必死でした。
できることならなんでもやりたかったし、雑用だろうがなんだろうが精一杯やった。決してそういった仕事をなめているつもりはないのだが、正直、心には大きな不安があった。
これが事実です。

夜も思ったように寝れなかったのが印象深いです。
どれだけ遅く寝て、どれだけ遅く寝ても自由な生活だったのですが、僕はそれが嫌でした。睡眠には人一倍こだわりがあり、寝ることが大好きな自分でも、好きなだけ寝れるということにストレスを感じていました。寝ているあいだほとんど夢を見ているんじゃないか、てくらい眠りも浅かったし、見る夢も不安や恐怖を煽るものが多かったです。このことからも精神状態が良かったとは言い難いと思います。

人と話せなかったのも寂しかったです。
家とグラウンドを行き来するだけの毎日。出費を限りなく少なく抑えなくてはならなかったので、日中は家にこもるようにしていました。これによって、会う人はチームメイトとフラットメイトのみ。出会う人の数が圧倒的に減り、人と会話できないことへのストレスも感じていた記憶があります。

三週間のロックダウン

半年間の無職生活をほぼ家の中で乗り越えた僕にとって、三週間のロックダウンなんて正直たいしたことありませんでした。それでも精神状態が良好だったかというと、そうでもありません。

「このままでいいのかな」

こんな感情がずっと心のどこかにありました。


フラットメイト5人で住んでいるのですが、普段はみんなそれぞれ仕事があるし、夜は僕がトレーニングがあるのでみんなが揃う時間はなかなかありませんでした。皆が金曜日パーティーをしているのか、僕は次にの試合に向け準備でひとりこっそり部屋に籠るというのが毎週恒例でした。
そんな僕たちにとって今回のロックダウンはみんなで一緒に過ごすとてもいい時間でした。今まで封印してたお酒も飲んで、ゲームもたくさんしたし、映画もたくさん見た。今まで経験できなかった時間を共有できて本当に楽しかった。
それでもどこか全力で楽しめていない自分がいました。一日の終わりに、どこかやり切れていない気持ちに包まれていました。

だから、一日中ゲームをしたり、一日中ドラマをみて楽しんでいるフラットメイトを羨ましく思いながら、隣でなんか本を読んだりして「なにかやっている感」を作り出したりもしていました。

サッカーがないことは明らかなストレスでした。
大事な準決勝が目前だったし、チームも厳しい試合を勝ち切って流れに乗っていました。僕自身もかなり良い感覚を掴んでいて、毎試合楽しみで仕方がありませんでした。そのサッカーがなくなってしまったこと。自主練習するときも友達を誘って一緒にボールを蹴ることができないので、ひたすら一人でボール蹴るしかないこと。この二つがすごいストレスでした。分かってはいたことですが、今の僕にとってサッカーが生活には欠かせないモノであることを再確認した瞬間でもありました。

なにが違ったのか

細部は違えど仕事を全くせずに過ごした二つの期間。双方最高とは言えない精神状態で過ごしたのですが、その内部は違ったように思います。
ここで二つの期間の生活を整理して比較したいと思います。

無職生活ロックダウン
期間半年3週間
お金家賃はチームが払ってくれていたため支出は少ない。
収入はほんの少し。徐々に貯金が減っていく生活
助成金が給付されたため
働いている時とほぼ同じ額の収入。
貯金可能
仕事なしなし
サッカー通常なし
周囲の人仕事エッセンシャルワーカーを除いて仕事なし
会話量少ない多い
人と関わる機会少ないフラットメイトのみ。量は多い
自由な時間多い中。自由な時間は多いがフラットメイトが
常に家にいるため少し気を遣う。ストレスではない
運動量少ない
睡眠量:多い
質:悪い
量:多い
質:すこし良くない
達成感試合後のみ。トレーニングのある日は少し得られたが、ほとんど達成感を感じない毎日ほぼない
貢献度ほぼなし。ほぼなし

こうやって考えてみると一番大きな違いはやはり「お金」なんだと思います。
仕事をしていないにもかかわらず毎週しっかり生活していけるだけの給付金を得られるのは、精神的にかなり大きいです。半年間の無職生活の時は、一番大きな固定支出である家賃を払ってもらっていたため、ほとんど支出はなくなんとか目先の生活は凌げる感じでした。
しかし、なにか買えばその分貯金が減るし、なにより払ってもらっているという感覚がずっとまとわりつき、負い目を感じながらの生活でした。

自分にとってお金がどれだけ大事なものか、将来どれだけのお金を稼いでいきたいのか未だに分かりません。しかし、今の僕には「いろんな国でサッカーを体験する」という野望があります。
これを叶えていくための最低限の貯金や収入、それらが得られていないときに今後の一年先くらいの短い未来に対しての不安が生じてくるのだと思います。

人と会話したり関わったりする時間も僕にとっては大切なようです。
もしかしたらこれは英語の上達度も関係しているのかもしれません。
フラットメイトには日本人はおらず、会話はもちろん英語です。彼らと会話することによって英語の成長度を実感しそこで自己肯定感を得られているのが、ストレスの軽減に繋がっているのかも知れないです。

それは置いといても、人と出会わないのはやっぱり寂しいし、人と話さないとどんどん無口になっていき、やがてメンタルにも支障をきたしそうでした。新しい人と出会って刺激を受けたり、ある特定の人と仲を深めていくことが自分の心の健康にはとても大切なことが分かりました。
一方、人気のない静かな奥地で生活していきたい欲も捨てきれないのでここは時間をかけて突き詰めていかないとなと思います。

サッカーあるのとないのとでは、、、
これは分かり切っているので書きません。

結局、なにに「不安」を感じているのか

今回、二つの働かない期間を経験して気付いた事はふたつです。

一つは、「自分に見えている範囲の周囲の人と比べて生きてしまっている」ということ。
トレーニングの前、ロッカールームで皆が仕事からそのまま来ていて疲れている中、自分だけフレッシュな状態であることへの負い目が今でも消えません。フラットメイトが朝早く仕事に出かけていく中、一人で日中家にいて、疲れて帰ってくる彼らを見るのは気分が良くありませんでした。
それがたとえアルバイトであっても、仕事に戻った時にそこのストレスが軽減されていました。
みんなと同じ土俵に立っている感が心地よかったのです。

これはつまり、結局みんなと同じことをしている方が安心と感じてしまっているということです。

就職活動の時、なんとなく周りと一緒に就活して似たような人生を歩もうとしてた。その時は何も感じていなかったけど、就職しないことを決めて、はじめてなんの組織にも属さなくなった時、周りと同じことをすることに居心地の良さを感じていたんだと気付いた。
しかし、それ以上になんて狭い世界で生きていたんだということに嫌気がさした。

それ以降、周りの事は気にしないというか、関係ないという生き方をしてきたつもりでした。それがいつの間にか、やっぱり自分の周りと比べてしまってたことに気付いてしまいました。

二つ目は「自分の無力さを再確認」したことです。
僕はプロでないにも関わらず未だにサッカーを辞めることができず海外でサッカーをしています。それをするために今もまだアルバイトをしている状況です。
そのうえ、将来食べていくためのスキルもありません。今の僕には「これができる」というものがありません。
きっとここに僕は不安を感じ続けているのだろうと思います。

達成感や貢献度を感じることが出来ていないのもこれが原因であると考えます。
仕事っていうのは達成感や貢献度を得られやすい。そしてそれが心の健康にとってとても大切なんです。

就活の時に考えた問い「働かなくても生きていけるのであれば、自分は仕事しないで生きていくのか」

どうやらこの問いへの答えが僕の中でハッキリしたみたいです。

自分が幸せであるためにどうすればいいのか。
なにをしていかないといけないのか少しだけ分かってきた、そんなロックダウン生活でした。

いつのまにか自己啓発みたいな内容になってしまったので最後の方は強引に締めくくらせてもらいました。

とにかく明日からまた仕事が再開します。
今の自分にできることを全力でこなし他者に貢献する。そうすることで達成感を得て不安を消していく。
先は見えないですが、しぶとく生きてやろうと思います。

ではまた。

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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