外国人を、と、として。

先日ついに引っ越しをした。洗濯機や冷蔵庫、ダイニングテーブルと生活必需品を日に日に調達していく勢いからテレビまでゲットし、いつからか今ある生活をより快適なものにすることに対して歯止めが効かなくなってきている。最近は家でより美味しいコーヒーを楽しむためのエスプレッソマシーンまで欲しくなっている始末だ。

それでもようやく一段落した。

僕のクレイジーな2023年はようやく終わりを迎えようとしている。年始めのスペイン挑戦に始まり、ヨーロッパ旅、日本再帰国を経てようやくニュージーランドに帰ってくることが出来た。スペインではクラブの家で多くの選手と生活を共にし、スペイン人と二人部屋というストレスフルな経験もした。旅行中は言わずもがな最安のバックパックホステルでたくさんのドミトリーを経験した。やっぱ実家が一番と心を休めたのも束の間、ニュージーランドでも最初はホステル生活だった。それからクラブとチームメイトのご厚意により、南アフリカのチームメイト家族にホームステイする形になった。4ヶ月近くお世話になった後、ようやく先日引っ越したのだ。たしかに引っ越しというイベントは人生にとって大きなことではあるが、その中でも今回の引っ越しは夏休み前の定期テストを終えたあとのような、開放感のようなものを僕にくれた。

目次

1月:スペイン

クラブの家。

今年の年明けすぐに僕は念願であったスペインにサッカー挑戦した。数年前にニュージーランドにいる頃からスペインに行きたい気持ちはありながらもなかなかたまらない貯金や全く身の入らないスペイン語学習で「本当に自分はスペインにいくのだろうか」と疑ったことは何回もあった。それでも人生の石は転がるべき方向に転がるようになっていて、エージェントとのいざこざもありながら、なんとかスペインに飛ぶことが出来た。

詳しいサッカーのことは他の記事でたくさん書いているので割愛させてもらうが、憧れだったスペインサッカーを自分で体感していることに僕は心を踊らせていた。

しかしその一方で、その気持ちよりも大きかったのが「こんなところで自分は何をしているのだろうか」という気持ちだった。スペインに18個もある5部リーグの一つ、そのなかに18チームある中の1チームに入ろうとしている自分がとんでもなく小さな存在に思えていた。現地の人は他に仕事しながらサッカーをしているようなレベルで、自分は日本からはるばる”サッカーのために”きて、必死にチームに入ろうとしている。ときにはそんなことが自分でもアホらしく思えながらも、置かれた状況を打破することに必死だった。

マラガの街にて。

それでも結果としては契約できずに何年も準備してきたスペイン挑戦は2ヶ月弱で撃沈した。所詮自分にはそのくらいの気持ちと実力しかなかったのだと、すんなりと受け入れることが出来たのは意外だった。

きっと以前より抱いていた、選手として自分が上を目指すことに対する疑念が、諦めという形でスッキリ晴れたんだと思う。

それよりも今は選手としてではなく一人の人間として、サッカーを通してどうしていきたいかをより広く考えるようになった気がする。

苦くとも大きな収穫であったと思っている(思うようにしている)。

2−3月:スペイン→ヨーロッパ旅行

スペインのバルにて。

スペインで契約をゲットできず追放を余儀なくされた僕は、そのまま日本に変えるのも癪でヨーロッパを回ってから帰ることにした。初めてある程度英語が話せる状態での旅はそれまでのものと全く違った経験となった。たった3週間であったが旅の中で色んな国の人と出会い、会話をする中でほんとうに様々な人生があることを知った。普段は人見知りで知らない人との会話など楽しめるタイプではないのだが、そんな僕が今でも覚えているくらいだからやはり一人旅には不思議なパワーがあるのだと思う。

印象的だった国はベルギーで、数か国語を話す彼らに僕は感銘を受けた。2日間しかベルギーには滞在しなかったし、そのうちの殆どをカメラ修理のために奔走していたから観光はほとんどしていない。それでもホテルで仲良くなった人たちと現地のパブで現地の人と話した時に、言語のおもしろさを目の当たりにした。人によってオランダ語を話し、通じなければ英語に切り替えたりフランス語に切り替えたりする。日本では見ることのなかった光景だった。

ロンドンのどこか。

そんなベルギー人に混じってフランス語を話してコミュニケーションを取るイギリス人の女の子もいた。彼女は僕が苦労して英語を勉強したように、フランス語を勉強して話せるようになったみたいだ。英語ネイティブで他の言語を話す人は、僕の周りでは彼女が初めての人だったかもしれない。必死に勉強したからこそ滲み出る自信にリスペクトを抑えることは出来なかったし、僕もスペイン語を話せるようになりたいと後押しされた。

ヨーロッパのサッカーや文化を体験できて楽しかったが、個人的にはそれ以上に「言語」というものについて考えさせられる旅となった。

3−7月:再び日本

新宿。

昨年の8月から年末まで4ヶ月過ごした日本で、再び5ヶ月弱もの時間を過ごした。理由は旅行で使い果たした貯金を回復させることと、ビザ申請のためである。ヨーロッパ旅行最終日に財布を盗られていた事に気が付き、文字通り全財産を使い果たした気持ちになっていた僕は、とにかくお金を稼ぐことで頭がいっぱいだった。ただその中でも旅先で色々な人に出会った経験から、今まで経験したことのない仕事や、これからもやらなそうなことをあえてやろうと思いついた。そうして最初に選ばれたのが引っ越しのアルバイトである。

学生の頃に引っ越しのアルバイトをしている友達が周りにいて大変であることはあらかじめ予想ができた。しかし華奢ではあるが一応アスリートであるし、肉体的にキツイことにはある程度自信があったから余裕だろうと思っていた。

甘かった。その一言に尽きる。まじできつかったにも関わらず、一日がむしゃらに働いて得られる給料はこんなものかと。労働量が対価になるわけではないという、資本主義の本質を突きつけられたような気がした。

こういう蕎麦屋が一番うまい。

その後は新宿でカプセルホテルの受付の仕事をした。ここには僕なりに選んだ理由があって、「日本に来る外国人が日本に対してどのように思っているのかを知りたかったからである。

2019年から約3年近く、僕は外国人として海外で生活をしてきた。その中でビザの問題や言葉の壁、文化の違いはもちろん差別のようなものも少なからず経験してきた。

そして今年は外国人としてヨーロッパを旅行してきた。一度に色々な国を訪れることで、その国の魅力や言語、人や文化の違いに興味を持つようになった。

外国人として海外で生活した経験、外国人として海外を旅行すること。
これら2つの経験が僕に、「日本人として日本という国が外国人にどのように思われているか」興味をもたせるきっかけとなった。

そして僕が海外で外国人としてかなりの手助けをしてもらったので、今回は僕は我がホーム日本で外国人をヘルプできればいいなと、そんなことを理由にホテルで仕事をした。

率直な感想としては、日本の魅力がうまく外国人に伝わりきっていないような印象を受けた。また、思っていたよりも日本に対してネガティブな意見を抱いている人も少なくなかった。

「日本はきれいだし、ご飯も美味しいし、人も親切でAmazingだぜ」

みたいな話は海外でも日本でも何回も聞いた。たしかにそうだと思う。しかし、少なからず「日本人は親切じゃない」という意見があったのは心に刺さった。

電車や街での外国人に対する視線、声をかけたときの対応。日本人からしたら些細なことかもしれないが、外国人にとってはあまり気持ちの良いことではなかったみたいだ。

四万温泉。

ホテルで働いていると他にもおもしろいことを目にする。靴を脱ぐことであったり風呂では全裸になることは日本人にとっては当たり前のことである。それを観光客として楽しめる外国人もいれば、受け入れられない外国人もいた。脱衣所で服を脱ぐというスタイルに戸惑う外国人が多かったことは小さな驚きだった。

外国人の客とは基本的には英語での接客となる。しかし日本人スタッフの中には英語を話せない人ももちろんいる。そんなスタッフにお構いもなく英語でベラベラと話しかけ、英語のわからないスタッフは困惑をする。終いにはI’m sorryとスタッフが謝る姿を何度も見た。

しかし僕はそのとき思うのである。「ここは日本だよな?」と。

日本に来て日本語を話そうとしない外国人に対して、なぜ英語を話せない日本人が謝る必要があるのかと。僕は海外にいった時に外国人に対して日本語を強要したことなどないし、その国の言葉が分からないものとして常に弱者の立場だった。

しかし外国人は日本ではそうではなかったのだ。それどころか日本で生活をしていて英語を話せない日本人スタッフが負い目を感じていたのだ。僕にはこれが非常に面白くて、日本人の人間性がでてるなと思った。

東京タワー。

また幸運なことにそのホテルでは多くの外国人スタッフと共に働いた。僕自身、海外で生活していくにあたってビザのことなど大変なことを多く経験してきた。日本に住む外国人にとって日本で生活をしていくことはどのようなことなのか非常に興味があった。

話を聞く限り、予想通り外国人として日本で生活をしていくことは簡単なことではないようだ。それはもちろん外国人にとって日本語を習得することはとても難しいこともある。ただそれ以上に制度的に永住権が取りにくかったり、家を借りにくかったり、仕事を探しにくいという現状があることを知った。

個人的には日本に住んでいる外国人ほど日本のことがあまり好きでない人が多いような印象を受けて悲しかった。

外国人として海外で旅行や生活をしていくこと、日本で外国人と関わったこと。この2つの経験は僕の視野を大きく広げてくれることになった。外を知り内に入り込むことで、日本という国が世界で唯一日本語を話し、それでもって歴史は長く、独特の文化を築いているとても面白い国であると思うようになった。

7−11月:ニュージーランド

引っ越しの様子。

昨年の5月にニュージーランドを離れてから15ヶ月ぶりにニュージーランドに帰ってきた。やはりのんびりとしたこの国が好きだ。ただ、帰ってきてから5ヶ月経つがいまだに働けないという現実に苦しんでいる。ビザの都合により現地で仕事ができないのだが、日本の仕事をリモートでやれば大丈夫と当初は考えていた。しかしそんなに甘くなかった。大したスキルのない自分がリモートで仕事を探すことが大変なことはもちろん、今後ニュージーランドで生活をしていくことを考えたら期間限定で日本の仕事をすることになる。しかも日本の最低賃金はニュージーランドの半分である。ニュージーランドで日本のお金を稼いで生活していくことがいかに大変なことか。

そんなこんなで5ヶ月経っても状況は変わらず自分の無力さを痛感しているところである。

しかし、悪いことばかりではない。この期間に働けないことを理由に周囲の人からはたくさん助けられている。お世話になったチームメイトの家族では南アフリカの生活スタイルや文化や食事を存分に経験させてもらった。いままでホームステイもしたことがなかったので、他の家族の暮らしに入り込むということはとても新鮮であった。自分が日本で育つ中で築かれた家族像とは全く違ったものがその家族にはあったし、それはそれで素晴らしいなと心の底から思えた。

そしてようやく迎えた引っ越し。お金の問題はまだ解決していないけれど、ようやくこれで居場所が一つに定まった気分である。多くの国を経験し、多くの家で生活をしてきた。1ヶ月後に自分がどこに住んでいるか自分でもわからない中でずっと生きてきた。そんな不安ともお別れで、とりあえず一年間はこの家で生活していくことになる。そのためにビザを延長しなくてはならないという具体的な指標も見えた。

とにかく、とにかく今年一年はカオスだったなと自分でも思う。良い1年であったかはわからないけど、多くのことを経験できて貴重であったことは間違いない。このような生活スタイルはおすすめはできないけど、人生でまた経験するのも悪くないと思えてる。2024年はまた違った一年になるように気持ちも財布の紐も引き締めていきたいと。そう意気込みながらエスプレッソマシーンに唆られる金曜午後二時。

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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