世界的にも特殊な日本サッカーの育成年代のシステム
海外でサッカーをプレーするようになってから4年近くが経とうとしています。コロナなどがありトリッキーな数年でしたが、ニュージーランド、オーストラリア、スペインでサッカーをプレーし、その他ヨーロッパで旅をしながら色々な国のサッカーを見てきました。
そのなかで僕は「日本のサッカー界は特殊である」という印象を受けました。
特に日本の部活動システムが存在している国は世界的にも珍しく、そしてその水準もとても高いように思います。
実際に海外で「高校や大学でプレーしていた」と答えると、あまりしっくりきていないような反応が帰ってきます。
そこで今回は海外に出たからこそ感じた当たり前ではなかった日本の育成年代のサッカーシステムについて書いていきたいと思います。海外でプレーしたからこそ気がついた日本のサッカーについて、そして自分のサッカー人生についてなるべく客観的に振り返って見たいと思います。
そして初めての取り組みですが、この記事はニュージーランドを始めとした僕がこれまでサッカーを通じて出会ってきた海外の人に向けて日本のサッカーを紹介するつもりで書いています。さすがにこのボリュームを英語で書いていたら年が明けてしまうので、あとで英語翻訳にそのまんま頼み込みたいと思います。
ですが日本人の方にとっても、自分が経験してきた育成年代の構造が当たり前ではないと気付けることも思います。また自分のサッカー人生を客観的に振り返るいいきっかけになるではないかと思いますので、ぜひ呼んでいただければと思います。長いので読むのがめんどくさい方は、考察の部分までスキップしてもらっても楽しめるかと思います。
小学生年代
小学生年代では基本的には家の近くの少年団でプレーをすることが主流です。プロになるためにチームを選んだりするのではなく、あくまでエンジョイが一番に考えられている年代です。
多くの選手は家の近くの少年団でプレーする
基本的に多くの子どもがサッカーを始める小学生年代。
多くの人は家の近くの少年団やスポーツクラブでプレーすることが多いと思います。少年団とは学校やその周辺地域に紐づいたクラブであり、OBなどがボランティアでコーチをしてくれるチームもあります。中には契約のコーチがいるクラブもありますが、正直それだけを仕事にして生きていくことは難しいのが現状で、副業や掛け持ちのコーチが多いです。
練習は週に1−2程度。週末に大会があれば試合を行うのが一般的だと思います。練習場所は小学校などの土のグラウンドで行われます。
これだけでは物足りないサッカー小僧は、放課後に友達と一緒にサッカーをして遊ぶのが、日本の伝統的なサッカー少年の生き方です。
豊富なスクール活動
週に1−2回の練習では上手くなるには不十分だし、プロになるためにもっとサッカーを習いたい。
そんな子どものために日本にはサッカースクールという文化があります。多くはフットサルコートなどで10人程度(規模による)で集められ、集団で行われます。
ここでのサッカースクールは少年団とは違い、ビジネスとして成立しています。したがって子供の人数が多くないと経営が成り立たないという背景を忘れてはならないし、費用も安くないケースが多いです。
そして興味深いのは、ドリブルや足技に特化したテクニック系のスクールが非常に多いことです。サッカーを上手くなるために、サッカーの一部分だけを切り取ってそこを専門的に特化させていく。そのような主旨のサッカー教育が多いのが日本のサッカースクール文化の特徴だと思います。
またニュージーランドやオーストラリアでよく見られる1on1型のプライベートレッスンのような形式は日本ではあまり見られません。
プロのアカデミー
最近ではプロのJリーグクラブの下部組織で小学生年代のチームを持つクラブも増えています。
少数精鋭のアカデミーに入るためにはセレクションなどを通過しなければいけないなどと、狭き門となっています。
しかし、豊富なコーチやスタッフ陣、練習場所は人工芝などと環境は整っております。当たり前のことながらプロになるためには一番の近道の選択肢となっています。
U-12の全国大会
どこの国でも必ず議論になるのが育成年代の全国大会。
日本では小学校最終学年の歳に全国大会が開催されています。小学生ながら決勝はテレビ放送もあり、かなり華のある大会の印象です。全国大会を目指せるようなチームは極一部ですが、それでも中学生年代のクラブからスカウトを受けるチャンスにもなっているため、プロになりたい子どもにとってはモチベーションの高い大会になります。
ちなみにですが、全国大会がいるかいらないかの議論とは別にU-12しか全国大会がないことに目をつけた本田圭佑氏がU-10の全国大会を最近主催しています。ルールなども独自に変更されていて個人的に面白い取り組みだと思います。
中学生年代
中学生年代になると主に、「中学校の部活」「街クラブチーム」「Jリーグの下部組織」の3パターンに分かれます。
図だとわかりにくいですが、少年団からJ下部組織に行くことも可能ですし、逆にJ下部組織から街クラブや中学校の部活を選択することも可能です。
もちろん多くの選手がJ下部組織を目指しますが、ここもまた狭き門となっています。しかしながら環境は素晴らしく整っています。
部活よりもクラブチーム
J下部組織に入ることが出来なかった選手の選択肢は、中学校の部活か街クラブのチームの2択になります。
言葉を選ばずに言うと僕らの年代では、中学校の部活よりもクラブチームのほうがレベルが高かったと思います。もちろん、中にはとても強い中学校の部活もありましたが、私立以外は家の近くに通うことになる市立中学校の制度では、なかなか良い選手が11人揃うことは難しいことでもあります。
一方で街クラブチームは基本的にセレクションを行って選手を選びます。
したがって選手の質を担保しやすいし、コーチの質も高いことが多いです。こういったことが理由で、より真剣に、より上手くなりたい人は街クラブのチームを選ぶ傾向が強かったように思います。
しかしながら、指導の質や環境を整えるかわりにその分費用はかかります。あくまで”子どもをクラブチームに通わせる余裕のある家庭”が街クラブのチームを選択できたように今は思います。
中には中高一貫で6年かけて育成するところも
青森山田中学高等学校をはじめ、私立中学の中には中高一貫で育成を行っている学校もあります。
私立学校に限らず、FC LAVIDA(埼玉)と昌平高校のようにクラブチームと高校が提携して育成を行っているところもあります。基本的に中学3年間で高校は違うチームに進むところを、6年間かけてじっくりと育成することが出来ます。
クラブのフィロソフィーやアイデンティティに沿ったサッカーをできるというメリットがあると思います。
中学生年代になると厳しさが一気に増す印象
小学生年代から中学生年代に変わると一気に厳しさが変わる印象があります。それまで楽しさ一番であったサッカーが、競技の世界に入り始め、真剣に勝ち負けにこだわるチームが圧倒的に増えます。中にはこの年代でも勝ち負けよりも、技術やこの育成を重要視するチームももちろんあります。
練習量も週4−5日と一気に負荷が高まります。
個人的な話をすると、僕のいたクラブチームはかなり厳しくて、スパイクを履かせてもらえずランニングシューズで走るだけで練習が終わることもありましたし、夏には9−17時までという長時間練習が連日あることもありました。
技術やフィジカルだけでなく精神的な鍛錬も課すようになり始めるのがこの年代の特徴かと思います。
現在は中学校の街クラブ化が進められている
サッカーに限らずすべてのスポーツで学校の部活動が地域へと移行されようとしています。大きな理由としては教員の労働時間。ほぼボランティアのような状況で週末も部活に時間を取られる中学校の教員はかなりの労働時間になっているみたいです。
また、中学校の部活動だとどうしてもメンバーはその時その時の運要素が強いため、サッカーのようなチームスポーツにはあまり適しているように思いません。個人的にも、地域の街クラブでしっかりとしたコーチの元でサッカーをできる環境が子どもに作られればいいなと考えています。
高校生年代
高校生年代になるとおおよそが高校の部活でサッカーをすることになります。中学まで豊富にあった街クラブチームは、高校年代になると大幅に数を減らします。僕の肌感覚的には9割が高校の部活、1割がJ下部組織と街クラブといった比率です。
高校にも2種類ある
高校の部活といっても市立と私立の2種類があります。
市立はあくまで勉強で受験を通過して集まったメンバー。私立になると特待生制度などで選手を集めることも可能になります。また資金面で余裕のある学校が多く、人工芝のグラウンドや寮設備完備など環境面が整ってることも私立高校の特徴です。
クラブチーム or 部活?
近年ではJ下部組織にも劣らないどころか、それを上回る成績を残す高校の部活も登場しています。松木玖生選手が青森山田高校のキャプテンだった代は、クラブユースのチームと同じ舞台で戦うプレミアリーグでも優勝し、正真正銘の高校No,1にもなっています。
一時期日本代表でも、本田圭佑選手や長友選手が高校の部活出身だったということから「高校の部活のほうが精神的にも強くなれるからプロでも生き延びやすい」という説が流れることもありました。
実際に、J下部組織に入ることも出来た選手が高校の部活を選択することもあるみたいです。なので必ずしもJ下部組織のほうが上という立ち位置ではなさそうです。
なぜ高校の部活のほうが精神力が強くなるのか
実際に高校の部活のほうが精神的に強いのかという議論はここではさておき、「高校の部活のほうがクラブチームよりも厳しい」ということは言えるかと思います。
あくまで学校の部活動としてサッカーをするので、そこには教育という面が色濃く反映されます。そして日本の教育というものが世界と比較するととてもユニークであることも伝えなくてはなりません。そこには科学や論理は存在せず、厳しい鍛錬に耐えることで精神的に鍛えられるという考え方が存在します。
具体的には、奇抜な髪型や服装は学校から禁じられ、タトゥーはもちろんのこと髪の毛も黒髪オンリーです。
学校の規則よりも更に厳しくなるのが部活で、連帯責任や罰則、走り込みなどが存在します。上下関係も厳しいことが多いです。
僕の経験では、連帯責任で全員坊主、疲労を遥かに超えた走力強化に繋がらない走り込み、真夏でも給水無しでトレーニング、オフがない、などと理屈では理解できない理不尽がたくさんありました。
「厳しいことを乗り越えたら強くなれる」というのは日本独特な考え方なのかもしれません。
夢の高校サッカー選手権
多くの高校生がこの舞台を夢見て高校サッカーを選択します。冬の全国サッカー選手権大会になるとテレビ放送も増えて、一般の人々からも注目を集めることができます。
決勝や注目カードでは数万人の観客が入ることもあり、プロも顔負けの注目度があります。
高校生にしてこの注目度はなかなかすごいことだと思います。
大学生年代
大学生になると高校を卒業してプロにいくor 大学への進学が一般的になります。もちろん大学へ進学しない人には、社会人サッカーチームもあります。しかし、あくまでプロを目指すのであれば大学へ進学せずに社会人チームでプレーするというのはあまりないケースかと思います。
日本の大学サッカーのレベルはかなり高い
僕が海外に出て驚いたことは、どの国でも大学でサッカーをするというシステムがなかったことです。僕が知る限り大学の部活動が有名なのはアメリカくらいです。
一方で、日本では大学でサッカーをすることも主流です。むしろそのレベルはとても高いと思います。
近年では100人前後もの選手が毎年大学からプロへとキャリアを進めていることからも納得ができます。また、日本代表の三笘薫 選手、守田英正 選手、上田綺世 選手など多くの選手が大学でプレーした後にプロへ進まれています。
中でも三笘選手が「ユース後にプロに行けたにも関わらず、大学でフィジカルをつけてからプロに行くという選択をした」話が有名です。これからはもっと大学で実力をつけてからプロに進むというケースが増えてくるかもしれません。
大学サッカーは環境も整っている
多くの大学が人工芝のグラウンドを持っており、試合はもちろん練習も人工芝でトレーニングできる大学が多いです。
トップレベルになると試合はきれいな天然芝、コーチやフィジカルコーチなどのスタッフも充実しています。
強いて言うなればメディアへの露出やSNSがあまり強くない傾向があり、一般的な人々からの認知度はあまり高くありません。アメリカの大学スポーツの認知度などを見てると、ここらへんが少し寂しい日本の大学サッカーのような気がします。
運営を経験できるのが大学サッカーの醍醐味でもある
大学生という社会人を目の前に控えた段階で、ほとんどの大学サッカー部では学生が主体で運営をしています。
今考えるとプロになるにしろ、アマチュアでサッカーを続けるにしろ、部を運営するという経験は大きかったように思います。選手としてプレーするだけでなく、クラブがどのようにして成り立っているのかを理解しておくことはサッカー選手としての価値を高めるためには大切なことだと思います。
近年では活動費を調達するためにスポンサーを獲得する大学も増えています。
これまでは部員からの部費とOBや大学からの補助金で成り立っていた運営費を、スポンサー企業に協力してもらうことでさらなる資金調達をしている動きがあります。僕はこれを部活動の民営化と勝手に呼んでいて、これまでの税収制度よりも活動の幅がかなり広がると思うので良い動きだと思っています。
社会人年代
先にも述べたように多くの選手が大学からプロのキャリアへと進みます。しかしながら大半の人はプロには進めません。そんな人たちの選択肢は2つです。社会人サッカー or 引退 です。最も多くの人がここの分岐点でサッカーと別れを告げることが多くなります。
日本の社会人サッカーのレベルについて
日本ではJ1、J2、J3と3部までがプロリーグとなっていてそれ以降はアマチュアリーグになります。
しかし4部に相当するJFLはプロではないですが全国リーグとなっていてレベルもとても高いです。プロを目指すクラブもあれば、中にはプロを目指さず企業の看板としてプレーしているクラブもあるのが特色です。
その下には地域リーグが存在し、その下が都道府県リーグになります。
JFLや地域リーグはレベルも高水準ですが、多くの選手はフルタイムで仕事しながら活動しています。この点ではニュージーランドの社会人サッカーと同じです。練習も週3−5日となっていて、プロほどの練習時間を確保は出来なくとも、仕事との両立でなるべく多くの練習時間を設けているチームが多いです。
地域リーグや都道府県リーグにも面白いクラブがたくさんある
今はまだプロには遠いリーグでプレーしていても、将来的にプロを目指しているチームが地域リーグなどにも存在しています。それらの多くはユニークな取組をしているクラブが多く、クラブとしてのフィロソフィーやアイデンティティを大切にしている印象が強いです。早い段階で企業が運営に入ったり、NFTを活用したり新しい取り組みが多く見受けられます。
そういったクラブ創りに興味のある選手が、プロから地域リーグへと転向するケースも近年増えています。プロでは選手として出来なかったことを、アマチュアクラブで裁量を持って取り組めることも社会人サッカーの魅力の一つです。
基本的にはお金を払ってプレーするのが日本の社会人サッカー
海外と日本の社会人サッカーの違いをあげるのであれば、日本ではお金を払ってサッカーを続ける必要があります。
もちろんプロに近いJFLや地域リーグではお金を払わずにプレーが出来たり、むしろ契約をして給料をもらいながらプレーすることも出来ます。
しかし、下部のチームでは基本的には選手がお金を出し合って運営費を賄うことになります。ニュージーランドやオーストラリアでは下部のチームであったとしてもお金を払う必要はなく、金銭的な負担を減らしてサッカーを続けることができます。ニュージーランドでは競技レベルは高くないにしろ、社会人になってもサッカーを続けることができる理由はここらへんにあるのかなと思います。
日本とニュージーランドの育成システムから考える構造と問題点
ここからは日本と海外でプレーしてきた僕が、客観的に日本の育成年代のサッカーについて思うことを書いていきたいと思います。スペインでもサッカーを見てきましたが正直ヨーロッパのサッカーを書くにはまだまだ浅すぎると思うし、同じ島国のニュージーランドと比較ひたほうが面白いので多くは日本とニュージーランドの比較から考えていきたいと思います。
キャリアを通して経験するコーチの人数
日本の育成システムをみると学校の区切りと同じタイミングでチームを変えるタイミングが来ます。
逆を言えば、そのタイミングでしかチームを変えるタイミングがありません。つまり、少ない人は人生で4チームのみで育成年代のサッカーを終えることになります。
これが多いのか少ないのかという議論は一旦ここでは触れないでおきます。
小学生:最大6年間
中学生:3年間
高校生:3年間
大学生:4年間
ただ、チームが変わらないということはコーチも基本的には変わらないことになります。
個人的には、育成年代を通して教わるコーチの人数とその人の選手としてのキャリアになんかしらの相関関係があるのかということに興味があります。
というのも選手の成長を考えたときにどんなコーチにサッカーを教えてもらうかということはとても大切であると思うからです。「あのコーチのお陰で上手くなれた」という恩師のような存在を持つサッカー選手も少なくないのではでしょうか。
多くのコーチと出会って自分に合うコーチと出会う確率を高める。
それとも、
少ないコーチに長くじっくり教えてもらうことで選手として成長する。
どちらが正解なのかは分かりませんが、自分のサッカー人生を一度振り返ってみたいと思います。
僕の場合ですと、僕は一度もチームを途中で変えることはなかったので社会人になるまでに4チームでプレーしてきました。そのサッカー人生で教わったコーチの人数を数えると以下のようになります。
小学生:3−5人
中学生:6−10人
高校生:3人
大学生:4人
Total:15−22人
中学生のときのクラブが少し特別な事情があってコーチ人の入れ替わりが激しかったこともあり3年間で10人ほどのコーチからの指導を経験しました。学年を担当するコーチなどは決まっておらず、「今日コーチ誰かな」とドキドキしながら練習に向かいながらみんなで話し合っていたのが思い出です。
日本で4チームでしかサッカーをしてこなかった割には、20人前後のコーチと出会い、多くのコーチと出会ってきたのではないかと思います。
あくまで個人的な感想ですが、僕はたくさんのコーチに教わることが出来て良かったと思います。理由としては2つです。
見て学ぶのが一番成長する
自分のサッカー人生を振り返ったとき、「ああ上手くなったな」と感じられるときは、たいがい上手い人のプレーを見て学び、そして盗めたときでした。そしてその存在が僕にとってはコーチであったことが多いように思います。
たまにコーチが僕らに混じってサッカーをする瞬間が僕は大好きで、その時にはいつも彼らから何かを盗んでやろうと考えていました。そしてそのコーチによってプレースタイルが違うし、うまいプレーも違います。
よりたくさんの上手いプレーをみることができたという点で、多くのコーチに出会うことが出来てよかったと思います。
より多くの考え方に触れられる
コーチによってサッカーの考え方は違います。特に僕の経験してきたチームでは正直に言ってクラブとしてのサッカーが強く確立されていなかったので、コーチによってサッカーの考え方も異なることが多かったように思います。
そのコーチによって評価が変わってしまうのもどうかとは思いますが、僕のサッカー人生は少なくともまばらな評価制度のもと育ってきたように思います。
しかし、その時のコーチに評価されないと試合に出られないので、僕はそのコーチの考え方を理解することに努めていました。その結果、僕には選手として”自分のサッカー”というものが確立されないまま育成年代を終えた一方で、どんなサッカーの考え方にも適応できる選手になったと思います。
海外に出てきて、日本とは違った評価方法や考え方のコーチもいますが、その中でも拒否反応を起こさずに順応しながらプレーできているのは、多くのコーチに教えてきてもらった背景があるのかなと個人的に捉えています。
もちろん僕のサッカー人生の中でも、恩師とは言わずとも自分とサッカー観が合うなと感じるコーチはいました。
彼らにもっと長い時間をかけて指導をしてもらえれば、もっと上手い選手になれたのかもしれません。どちらが正解なのかは分かりませんが、多くのコーチに指導してもらうメリットも多くあると僕は考えています。
移籍のハードルの高さ
先にも述べましたが日本のサッカーは学校の区切りと紐づいています。
僕は小中高大で4チームでプレーしてきました。途中で移籍することは一度もありませんでした。
では、日本の育成年代において移籍が簡単なことかというと、僕はそうではない印象を持っています。
つまり、移籍のハードルがとても高いです。
例えば、高校の部活に入ったものの自分とはサッカーや環境が合わなかったとします。そんな人の選択肢は2つです。高校ごと転校するか、もしくは街クラブに入るかです。サッカーのために高校ごと転校することが簡単ではないことは言うまでもありません。
一方で、街クラブはどうかというと、確かに実力さえ問題なければ入りやすいと思います。しかし、高校年代では街クラブが充実しておらず、おそらく東京のみでしか成立しない選択肢ではないかと思います。
そうなると嫌でもその学校でサッカーを続けなくてはならなくなります。これが「あいつは〇〇に行って潰れた」という現象が起きる一因であると思います。
同じことが大学や中学でも起きるので、正直に言って日本の学生年代のサッカーは移籍がし難いと思います。
こういった背景から、各学校の区切り(小学校➔中学校、中学校➔高校)での進路選択はとても大切になりますし、選択をしたら3年間はチームを変えられないというプレッシャーも大きくなります。
このように日本の学生年代における移籍のハードルの高さはデメリットが大きいし、「移籍=ドロップアウト」というネガティブな印象がついてしまうのも残念なことです。
一方でニュージーランドなどでは、学生年代であっても学校ではなく、街クラブチームでサッカーすることが基本です。厳密に言えば学校でもクラブでもプレーすることになります。
そして小学生、中学生、高校生と区切られているわけではなく、U-12、U-14、などと年代ごとに細かく区切らています。
チーム編成も毎年セレクションを行うので、移籍を行うことも非常に身近になります。
「合わなければ他のチームへ」という選択が学生年代に用意されているのは日本とは対照的なニュージーランドのサッカーであり、僕はこの構造は育成年代にも良いと考えています。
一緒にプレーする年代
日本ではよほどのことがない限り飛び級というものがありません。中高一貫校など出ない限り区切りを超えることが出来ないからです。したがって学生年代における一緒にプレーする年代は上下2−3歳までとなります。
一方でニュージーランドでは、高校生年代に当たる15−18歳の選手が我々のシニアチームに混ざって活動することがあります。U-20歳以下の選手起用のルールがあることもあり、実力のある若い選手はどんどんトップチームに参加してきます。僕らのチームには30歳を超えるベテラン選手もいますので、高校生からしたら10歳以上年上の選手とともにプレーすることになります。日本の学生年代では考えられないことだと思います。
これが選手のサッカーにとってどう影響を及ぼすのかは分かりませんが、以下の部分で日本とニュージーランドに違いを感じます。
同世代の絆が強い日本人
中学3年間、高校3年間、大学4年間。いずれにせよ数年を共に過ごすことになる日本の学生年代のサッカー。
そこで培われた絆は強く、卒業後や大人になっても親しい関係を保ち続けている人たちが多いのが印象的です。特に厳しい高校時代を共に乗り越えた仲間とはその絆がより強まる傾向にあると思います。
サッカーを上手くなるためにこの絆が必用かはまったく分かりませんが、少なくとも人生において長く友達でいられる存在というのは大きいと思います。
別にニュージーランドなどではそういった同年代の仲の良さがないのかと言われれば、そうではありません。彼らも同年代の友達はいますしとても仲が良いです。ただ日本のほうがその繋がりはより強く保たれているような印象を僕は受けます。
社会性
高校生年代で大人と共にプレーすることは人間性の観点でとてもポジティブなことだと思います。
それまで同年代としか関わることのなかった日本の学生は、いきなり社会人になって一回りも二周りも年上の大人と働くことになります。ここで彼らとの世代間を超えたコミュニケーションを上手く取れない人が多いのではないかと思います。
一方で、ニュージーランドでは敬語の文化もなければ上下関係も特にありません。
あくまでフラットな関係が成り立ちます。そんななかで大人を見て育つ彼らは、どこか大人びて見えるし、大人とのコミュニケーションにぎこちなさがあまりないです。
サッカーを通じて世代間を超えるという経験は、なるべくしておいたほうが良いのではないかと個人的には考えています。特に人間教育を重んじる日本の学生サッカーではなおさらです。
まとめ
以上が日本の育成年代のサッカーを客観的にみて、海外のサッカーと比較して、自分のサッカー人生を振り返ってみた結果です。
日本にはまだ「セレクション制度」や自分の経験したことのない「世代別代表」など、育成を考える上で欠かせない要素はたくさんあります。僕にはまだまだ見えていないこともたくさんありますが、
日本でプレーをしていたときよりも、海外を経験した今の方が日本のことをより広い視点で見れている
これは間違いないです。
当たり前だと思っていた自分のサッカー環境が他を知ることでそうではないと実感する。
他の選択肢を知ることでもっと上手くなれるかもしれないし、そうでないかもしれない。
なにが正解でどうしていけば上手くなれるのか簡単には分からないし、そこには国という絶対的な環境が影響していたりもする。
僕は海外に出て、他の国のサッカーの取り組みや文化にすごく刺激を受けているしとても興味があります。
分からないことばかりですが、これからもサッカーと文化、そして教育などの関連性などについて自分なりに仮説を立てていければ思います。
まずはニュージーランドで生き延びていけるように頑張ります。
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