ニュージーランドでの就労ビザをゲットしてそろそろ一ヶ月、案の定まだ仕事を見つけられずにいます。現地での就労を禁じられながら生活をするという鬼のような環境に耐え、ついにゲットした就労権。「ビザが降りたら俺は開放される」と意気込んでいたにも関わらず、いざ自由になると就職活動に本腰が入らず、ダラダラと一ヶ月がすぎてしまいました。
ニュージーランドの求人情報を眺めながら、なんかしっくりこないなと思い悩む毎日。5年前に右も左もわからないまま大波に流されながら就活していたときのことをよく思い出します。
「しっくりこないのは自分が何をやりたいのかも明確になっていないし、仕事を選べるだけのスキルや経験もないからだ」
という現実と向き合いながらも、自己嫌悪に陥らないように程よい距離感を保っているのが今の自分の就活スタイルなのかもしれません。
なにはともあれ、海外で就活をするというのは人生の中で考えれば面白い経験であると思うので、僕は今回5年ぶりくらいに就活について記しておきたいと思います。
そもそも労働とは
人はなぜ働かなければいけないのだろう。
仕事を探すにあたってまずここから考えようとした時点で僕は詰んでいます。めんどくさい奴です。しかし、日本にいた頃から「明らかにこの仕事はいらないよな」と思えることに人件費が投じられていることが不思議で仕方ありませんでした。僕の倫理としては、その仕事をしている人が、その仕事を望んでおり、ハッピーであるなら成立します。トイレ掃除という仕事をその一例に出すのが正しいのかわかりませんが、「Perfect Days」の平山さんみたいにです。しかし、僕が思うそのような仕事をしている人は、決まってアンハッピーで、悪い言い方をすれば搾取されていることに気が付きながらも仕方なく受け入れているような状況に思えました。
そこに需要があるから仕事が発生する。
あきらかにこの原理に逸脱したことが今の世の中では起きているような気がしていて、それがずっと自分の中でのモヤモヤでした。
そこでまず手にしたのは、「ブルシット・ジョブ」という本でした。この世の中にはブルシットな仕事が溢れているが、それはなぜなのか論理的に述べられている本です。この本から学んだことはたくさんありますが、個人的に面白かったのは「労働(ここでいう労働は肉体労働やきつい仕事)には、やりがいや達成感という価値がある。したがって、その仕事では心が満たされるから給料は低くなって当然だ」という考え方です。なるほど、精神的充実も価値の一つとして数えられているのかと、少し納得してしまう考え方でした。
人はなぜ働かなければいけないのだろう。
その問い自体が、「仕事」というものをなにかネガティブに捉えてしまっているような気がして、少し嫌です。とにかく僕はこの世の中や社会のことをまるでわかっていない。就活におけるモヤモヤの原因はきっとそこにあると思い、資本主義や労働の歴史、資本論などとにかく多くの本を手に取り読み漁っています。
今はまだこんな状況です。
やりたいことを見つけるのはその先でいいと思っています。
ニュージーランドと日本の就活感
大手or ベンチャー論争
日本ではまず大手かベンチャーか、そんな選択が就活の一歩目だったように思います。ところが、ここニュージーランドではそのような概念自体が存在しないように思います。もちろんニュージーランドにも多くの従業員を抱える大手企業や、誰もが知っている大企業は存在します。しかし、個人ビジネスを応援する国の政策もあってか、ローカルビジネスの割合が日本に比べて多いように思います(あくまで肌感ですが)。
「仕事はなにしてるの?」と聞いても職種を答えるのがニュージーランドで、どんな企業に努めているかが第一ステータスとなっていないように感じます。
肉体労働の割合
日本(特に東京)に比べて、肉体労働に従事している人の数(割合)がニュージーランドは多いように思います。主に建設業や大工などの仕事です。絶賛都市集中化のニュージーランドでは、新しい家の建築がものすごい勢いで進んでいます。土地が有り余っているだけにほんとに勢いがすごいです(仕事のスピードは遅いですが)。こんな事もあって、いわゆる肉体労働の仕事の需要がとても高いです。また、給料も比較的高くなっているみたいです。
肉体労働に対するイメージも日本とニュージーランドでは違うなと感じています。もしかしたら東京タワーが建てられた頃くらいの日本でも、大工はこのようなイメージを持たれていたのかと。
仕事の探し方と人材会社
日本では最近人材会社がめちゃくちゃ増えたなと勝手に感じています。求人サイトもたくさんあるし、専門性に特化した人材会社などとにかく色んな会社があるなと。
一方、ニュージーランドでは仕事を探すとなれば方法は主に3つらしいです。
1,大手求人サイト
2,リクルーター
3,知人の紹介
大手求人サイトに関しては、日本のリクルートのようなもので、主に2つくらいしかありません。他にはFacebookのグループなどで仕事を募集しているケースもあります。
リクルーターに関しては、あまりメジャーではないみたいです。特に日本と比較して考えると、圧倒的に少ないように思います。ただ僕としてはニュージーランドでの需要や市場感というものが全くつかめていないので、今度話を聞きに行ってみたいなと思います。
3番目の知人の紹介ですが、ニュージーランドではいまだにこれが最強みたいです。コネ社会と言われるここでは、人伝いでの仕事の紹介が多いみたいです。
個人ビジネスの多いニュージーランドでは、広告費などもかけずに済むことなども関係していそうです。
文化と生き残る仕事
最後にニュージーランドと日本で生活していて感じる、存在している仕事の違いについてです。去年、数年ぶりに日本に住んでいたときにあることに気が付きました。スーパーの駐車場によくいる交通整備の人です。運転マナーや思いやりの部分では遥かに日本のほうが優れているように思うのに、駐車場の交通整備に日本では需要があるのだと興味深かったです。ちなみにニュージーランドは、駐車場がアホみたいに広いことと、ストリートパーキングも厭わないことから、交通整備の人はいません。しかし、その分スーパーの中にはセキュリティの人がいるし、スーパーで働く人の数も桁違いです。
セルフレジ?セルフレジだろうが、インチキしないように結局、従業員を配置しているのがニュージーランドのスーパーです。
僕はニュージーランドのカフェが好きなんですが、ニュージーランドのバリスタという仕事は今後もなくなることはないだろうなと考えています。たしかに、現代では機械が自動で美味しいエスプレッソを淹れてくれるし、日本のコンビニに行けば100円で美味しいコーヒーが飲めます。しかし、ここニュージーランドでは、人々は会話をするためにカフェに行きます。パソコンを開いて作業するためではなく、誰かとミーティングをしたりキャッチアップをしてコミュニケーションするための場として成立しています。そしてそこには店員との会話も含まれます。これがニュージーランドのカフェ文化です。
どれだけ安く便利に全自動でコーヒーを飲めるようになっても、地方の喫茶店がなくならないのと同じで、ニュージーランドのカフェもこうした文化に守られていくんだろうなと思います。
ちなみにですが、ニュージーランドは日本と同じ資本主義社会ですが、日本のように街のあちらこちらで広告を目にすることはありません。理由はわかりませんが、きっと外観を損なわないために規制されているのかと思います。
したがって、日本のように広告会社が溢れがかえっているような印象はニュージーランドでは受けません。
つべこべ言わず働け
こんな理屈っぽいことを考える前にまずは働けよ。そう僕も思います。30歳になるまではとにかくいろんな経験(幅という軸で)したいという思いがあるので、あまり深く考えず、あまり我が儘にならず、いただける仕事を受けて賜って行きたいという姿勢でいたいと思います。この記事に第2回はあるのか。それは僕の就活の進捗次第です。ないことを願いたいと思いますが、働き方関連で「サッカーコーチ」という仕事にも日本とニュージーランドでは多くの違いがありますのでいつか書きたいと思います。
とにかくサッカーしていようが、就活していようが、そこには文化の違いというものがあって、その背景を考えることがとても楽しいです。それを少しでも伝えられたらと思います。
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