「外国人」として海外で生きることについて

海外から日本に帰国して10日以上が経過した。僕が22年育ってきた日本はやはり美しいし、なによりご飯が美味しい。温泉文化もあいも変わらずに最高だ。僕は日本が好きだ。それでも近い将来、まだまだ海外で生きていこうと思っている。帰国する前からもそう思っていたし、帰国してからその思いはより一層強くなっている。

日本に帰ってきてから小さなストレスを感じる機会が増えた。僕にはそれがとても奇妙なことであり、自分なりに突き止めてみようと考えてみた。小さなストレスが何かというと本当に些細なことだ。
・半強制的なマスク
・満員電車
・人身事故による電車の遅延
・免許講習での待ち時間
・ふらふら自転車を運転している高齢者

アデレードの町並みが恋しい

どれも誰かが悪いということでもなく、かといって意味があると言われればそうでもないような決まりに少しだけストレスを感じるようになっていた。最初はこれが海外から帰ってきた期間限定的なカルチャーショックだと思っていた。僕のツイートを目にしている人はわかると思うが、いわゆる海外ぶったツイートが多かった。それは自分でも気づいているし、あえてそうやっている部分がある。今回は海外と日本の違いを話したいわけではないので文化の違いについては割愛させてもらうが、僕の小さなストレスはカルチャーショックだけが原因ではないことが最近わかってきた。例えばマスクだが、僕が2年間住んでいたニュージーランドでも最初はマスク着用が強制だった。しかし、そこに対して今抱いているようなストレスはなかったように思う。例えば電車の遅延だが、ニュージーランドやオーストラリアのバスでは遅れて到着したり、時には予定より10分以上早くバスが来ることは当たり前だった。決して便利な状況ではないのだが、そこにストレスを感じることはあまりなかったように思う。

ここらへんから僕が日本でストレスを感じている原因は、外的環境ではなく自分の中にあるような気がしてきたのだ。

シンガポールの屋台大好き

なんで海外で生きていきたいかと考えた時に理由はいろいろあるのだが、海外ならではの新鮮な体験が楽しいことは間違いなくある。こういうと聞こえが良いが、もっと突き詰めて考えると、「ストレスなはずの出来事でさえもinterestingと思える」ことがあるのだ。(ここでいうinterestingは興味深いというニュアンスに近く、面白いではなく、おもしろいという意味です。)例えば、カフェで働いていながらめちゃくちゃうるさい客がいたとする。日本でこんな客がいたら100%めんどくさいと思うのだが、海外にいると「外国人ってこれがアリなんだ」という風な受け取り方になる。しまいには、そのめちゃくちゃうるさい客に対して、カフェのマネージャーがそれ以上に大きい声で会話しに行く光景を目にした時はもう笑うしかない。こんな感じで、周りがどうって問題ではなくて僕自身の感受性によってストレスに感じているように思った。

この現象に一つ答えを出すならば、僕が外国人であることが理由であると考えた。
そして外国人として海外で生きていくことが、わりとハードであるがゆえに小さな出来事にストレスを感じる余裕すらないというのが僕の見解だ。

アデレードのアート壁画

外国人として海外に住んでいくと、多様な場面で日本との違いを感じることがある。

まずは日本人にとって海外のすべての国は日本語が通用しない国となる。思ったように会話が出来ないということはそれ自体がストレスだし、会話が通じていない様子を笑われたりしたらストレスどころではない。しかし、僕の英語はまだまだ発展途上で成長の余地しかない。それ以上に英語が話せることによる世界の広がりにわくわくが止まらない。だから僕は笑われようが気にしないし、ひたむきに勉強していこうと思う。つまり日本で感じるような「この人言葉使い悪いな」なんてところにストレスを感じている余裕がないのだ。

外国人として海外に住んでいくとなると大抵のことはアウェイな立場で生きていくことになる。外国人であればビザの問題でまず生きていくのが普通にむずかしいし、仕事につくのも、医療費などもなにかと難しくなる。僕のサッカーの場合で言えば、外国人枠との戦いも加わってくる。しかし、僕はこれをあえてハンデと捉えるようにしている(べつに自分が相手より優れているとはこれっぽっちも思っていない)。ここに関しては僕の負けず嫌いの性格が功を奏して、ハンデな環境になればなるほど(程良さが大事)モチベーションが高まる傾向がある。つまり、今の目の前の人生を充実して送れる可能性が高い。そんなときには小さな出来事に対していちいちストレスを感じる可能性が低いように思うし、この自分をハングリーにさせてくれる環境が海外にいたいと思わせてくれる一つの理由かもしれない。

ここでもう一度言っておくが僕は日本が好きだ。海外にいると、「私は日本が嫌いなので海外にいる」というタイプの日本人がいるが、僕はそうではない。

今は海外で生活をしていたほうが心地が良いような気がしているだけだ。

満員電車は嫌いだけどね。

すこしだけまとめていく。

日本で日本人として生活をしていくと、言葉や文化の面で苦労することは殆どないだろう。心にキャパがあるとしたら、言葉や文化によってストレスを埋められることがほとんどない。が、ゆえに小さなストレスを感じてしまったり、あまり余った心のスペースをなにか野望で埋め尽くそうとしているのではないかというのが僕の見解だ。

実際に僕はいま、帰国してから無職のフリーター生活なのだが、メンタルが健康とは言える状況ではない。現状に不安しかないし、「なにかしないと」という危機感に駆られている。

本質的に意味があるわけではないのだが、海外で同じフリーター生活をしていたときのほうが、精神的なストレスが少なかったように思う。

海外で外国人として生活をしていくと、言葉や文化の面でかなりのハードルと対峙することになる。これは海外に出る前の日本人(僕)が想像するよりもはるかにハードなものだった。僕のしょうもない心は生きていくだけに必要な言葉の壁や、文化の違いを乗り越えていくことに精一杯だった。ゆえに、小さな出来事にいちいちストレスを感じている余裕すらなかった。

醜い図でごめんなさい。

これが今僕が海外で生きていたいと思える、海外のほうが心地が良いと思える一つの理由なのではないか。これが今回の結論である。

「外国人として生きる」

このこと自体に意味があるとは思えない。しかし、あのイチロー選手も引退会見で「外国人」として生活していくことを経験したほうが良いみたいなことを言っていたことが何故か当時の僕に突き刺さった(当時の僕はまだ日本)。海外在住者の中では僕はまだまだルーキーで、英語のレベルもまだまだだし、本当の海外を全然知らないと思う。だけど、3年海外で生活をして、日本に帰ってきた時にモノの視方がかなり変化していることに気がついた。僕はこうした変化のタイミングを大切にしていきたいし、こうしたときほど自分を分析するチャンスだと思っている。日本に帰国してから2週間。僕はこれからも環境と自分の変化について向き合っていくことになるのだろう。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

コメント

コメントする

目次
閉じる