海外と自然について。

海外に住むことについてよく考える。

「海外に出たほうが良いのか」

この問いについて考え始めると森の中で迷い始めたかのようにいろんな考えが浮かんでくる。もちろん短期とか旅行って意味で海外を経験しておいたほうが良いか否かであれば、答えはハッキリしている。とりあえず経験しておいたほうが良いだろう。

しかし、海外に住むという話になるとまたこれは答えが難しくなる。日本にいる人からすると一見華々しく見える海外生活だが実際のところそうではない。少なくとも僕は華々しい生活を全く送っていない。仕事やビザのこと、外国人となると何事も大変だし、いかんせんお金がかかる。日本の友達が今頃どんな生活を送っているかは詳しくわからないが、一般的に言う生活水準で言えば僕は圧倒的に下回るだろう。

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あんまり考え込むとあまりにも話が暗くなりそうなので少し話を変える。
もとからそうだったといえばそうなんだが、最近は自然がすごい好きで暇な時間が出来ればビーチや森、ボタニックガーデンに行って散歩をするようにしている。
なんで大自然を目の前にすると心がスッとした感覚になるのだろうか。僕はあの感覚をずっと言語化出来ずにいる。


でもどこかの本で読んだ言葉を借りれば僕は自然を目の前にした時に、圧倒的な年月とパワーに押され自分の無力さを突きつけられ、ある種開き直っているような気がしている。この気持があのスッとした感情に繋がっているんだと思う。どこまで続いているかわからないほど広大で、それでいて波が常に引いては押し寄せてくる。海岸にぶち当たる波を見ていると死が少しだけ近づいた気分にさえなる。でっかい森の中に入り込むと、ほんと多くの生命体がそこにいることを感じることが出来る。そして彼らからは「人間となど共存してたまるか」と言わんばかりの反抗心を感じる。一人で迷い込んだらまじで死ぬと思う。でっかい木はとにかくすごい。語彙力がなさすぎて本当に申し訳ないんだけど、すごいんだよ。何百年とか生き続けて、その結果今の形になって。あきらかに重力に逆らった形になどをしてるとどんな生涯を送ってきたのかすごい気になる。

そんな自然のパワーを目の前にして僕はいつも無力さを感じる。彼らからすると圧倒的に弱者でちっぽけな存在なんだと。

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それが海外について語るときにも似たようなところがある気がしている。あまりにも日本と違った文化を知れば今まで生きていた世界の小ささを感じる。海外にでなければ絶対に会わなかったであろう外国人と知り合うことで、僕らのどちらかが死んだらすごい悲しむことになるのだ。逆を言えば出会わなければ、自分が死んだところで彼らには何も関係ないし今までと何ら変わりない日常が続く。そんなことを思うとやっぱり自分のちっぽけさを痛感する。

別にここでは自分のことを無力だと思うことが良いか悪いかを論じるつもりはまったくない。多分どっちでも良い。

しかし、自然と海外はそういったところでは似ているのかもしれない。だから海外に出てくる人とかに、大自然が好きな人が多い印象があるのは間違っていないように思う。

きっとそういうことだと思う。

ki

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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