降格が決まったいま、何を思い、何を成せるのか。

0-7。

降格を争うチームとの降格をかけた重要な一戦で0-7という屈辱的な敗北を喫した。チームの降格も決定してしまった。つまるところ、残りの2試合は僕らにとって消化試合という形になってしまった。

シーズン途中からチームに加わったにもかかわらず結果を残せなかった。とても悔しいし、自分の無力さを改めて感じさせられる経験となった。

思い返してみれば、こんなにも屈辱的な敗北を喫したのは大学三年生の頃に0-8で敗れた以来だ。僕の長いサッカー人生を振り返ってもリーグ戦途中で降格が決定し、残り試合を消化試合としてプレーをしたことはない。

恥ずかしくて目を背けたくなるような敗北、そして残り2週間を消化試合として戦う。きっとこの2週間は僕のサッカー人生においても貴重な経験になる。このタイミングで僕のサッカー観を一度整理しておきたい。いや、そうでもしておかないとこの二週間を有意義なものにできそうな気がしないので、自分自身と向き合っておこうと思う。

自分はなんのためにサッカーをしているのか

こんな言葉を事ある節目ごとに自分に問いかけてきた。就職活動のときには、企業面接でウケの良さそうな言葉を考え、自分のサッカー観をそこに押し込めてしまった経験もある。そんな自分を嫌いになって「好きなものは言語化できない」と開き直ったこともある。
ただ、海外でサッカーをしていくと決めた時に「サッカー選手としてどうありたいか」これだけは決めておかないといけない気がして、その時に決めたことを大切に思いながらニュージーランドではプレーをしてきた。自分の中で大切にしている価値観が定まっていたからこそ、数あるオファーの中から無休のチームを選んだことに対しても、一度も後悔することはなかった。

ぼくは今回の移籍を通じて人生で初めてサッカーで給料をもらい生活していくことを経験することになった。エージェントも初めて利用したし、しっかりとした契約を交わしたことでなにかしら自分の中で覚悟を決めてオーストラリアに来たことを覚えている。移籍はシーズン半分を折り返すちょうど手前という、シーズン途中での移籍という形になった。僕に課されたミッションは明確で「降格の危機にあるチームを降格から救う」ことであった。それまで10試合近くを戦い1勝のみで最下位に沈んでいたチームを助けるべく、僕はオーストラリアに渡った。


正直に言って、チームの練習に初めて参加したときの「周りからの目」も、ニュージーランドで経験したそれとはまるで違っていた。シーズン途中に、わざわざ海外から獲得した選手、というレッテルを貼られ、常に「おまえの実力はどんなもんなんだ」と品定めされている気持ちになった。まったくもってプロと言えるレベルではないのだが、給料をもらっていることもあって「これがプロ選手が感じているプレッシャーか」とかるく勘違いもしていた。そんな事もあって、僕はなにがなんでもこのチームを降格から救う、そのためにとにかく結果を出す、それだけを自分の目標に掲げた。そして気づけば僕はサッカーで結果を出すことのみを目的として行動していった。

すべてが傲慢だった。

ニュージーランドで少し結果を出したくらいで僕一人の力でチームを変えられるほどサッカーは甘くない。ましてや僕のプレースタイルであればなおさらだ。あのイニエスタを擁してもチームが降格圏に留まるスポーツがサッカーであることを忘れてはいけない。にもかかわらず僕は本気でチームを救おうと思っていた。プレーで示し、結果を残すことで。

その結果僕がニュージーランドに出る前に大切にしていたサッカー選手としてどうありたいかがぶれてしまっていたように今は思う。

あの頃の僕はチームメイトに対してどんな影響を与えられるかとか、サッカーを通じてどんな人間関係を築いていきたいかとか、そんなことを一番大切にサッカーをしていた。プレーで結果を残すことは、僕が喜ばせたい人を喜ばせる一つの手段でしかなかった。
オーストラリアに来てからの僕は、なにかそれが欠けていたように思う。今のチームメイトが僕のことをどう思っているのかは分からないけど、結果を残せなかった今、「あいつとまだ一緒にサッカーしたい」と思ってくれている人はきっと多くない。なにか大切なものを見失っていたように思う。それが、お金なのか、チーム環境なのか、シーズン途中からだったのか、サッカーのレベルからなのか、何によって起きてしまったことなのか理由はわからない。
それでも確かに僕はサッカー選手としてどうありたいかをないがしろにしていたような気がしてならない。間違いなくサッカー選手として大切なもの(少なくとも僕が大切にしておきたいと思っているもの)を見失っていることに気が付かず、チームを降格から救うことが出来ればすべての人がハッピーになると思っていた。

アホだった。降格だとか、残留だとか、優勝だとか、そんなのは結果にしか過ぎない。もちろん結果がすべてなんだけどそうじゃない。結果が出た時に、共に感動を分かち合えるような、そんな存在、在り方でなくてはならない。そうでないとサッカー選手として「点」でしか残らないんだ。それは嫌だと固く刻んだはずだった。でも甘かった。

結果でチームを救うことは僕のやりたいことではない。
それは僕のやりたいことを成し遂げるための一つの手段でしかない。

プロ選手はこんな甘いことは言っていられないしやはり結果がすべての世界で生き残っていかなくてはならない。それは理解している。それでも僕はこうしたものを忘れずにサッカーをしていきたい。それがたとえ甘い戯言でしかないと思われようとも。

幸いなことに試合はまだ二試合残っている。降格は決まってしまったが、シーズンはまだ終わっていない。きっとやれることが残っているはずだ。
来年もオーストラリアにいるのかはわからないが、お世話になった人や、サッカーを通じて関わる人、なるべく多くに良い影響を与えて恩返ししていきたいと思う。

サッカー選手として大切にしたいことをもう一度思い出して。

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この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

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