動物を殺すのはかわいそう
ヴィーガンになるきっかけとして、動物愛護的な理由からヴィーガンを支持する人も数多くいます。実際に僕もTwitterでヴィーガン界隈の人を見るのですが、「動物を殺さないで」という主張とともに食用肉として処分される家畜の画像を投稿している人をよく見かけます。
みなさんが御存知の通り、こんなヴィーガンに対する批判も多く飛び交っています。
しかし僕はいつもそんな批判を見て「的はずれ」だと感じてしまいます。たしかに「動物を殺さないで系」のヴィーガンの人たちは主張が激しく、過激になる傾向があり、ときには暴力的なニュースさえ目にします。
もちろんそんな主張には僕も反対です。
ただまず僕が思うのは、ほとんどのヴィーガンの人はそこまで激しく主張しておらず、過激なヴィーガンは多くても約5%だと思っています。なのに世間一般に広がるヴィーガンのイメージが悪くなり、批判が増えるのはもったいないことだと思いました。
そこで今回は、「ヴィーガンに対する批判」を紹介し、それに対する僕の意見を述べていきたいと思います。
なお、僕が今回取り上げて意見するヴィーガンに関しては、倫理的ヴィーガンにのみフォーカスして考えていきます。僕の中で、倫理的ヴィーガンとは「動物愛護系ヴィーガン」です。環境や健康の面からヴィーガンを支持する人も多いですが、今回は環境や健康に関しては除いて考えていきます。
ヴィーガンに対する批判の数々
今回取り上げるのは動物を殺すのはかわいそうという主張に対する批判の数々です。
端的にですがそれぞれに対する意見も添えたいと思います。
植物も生き物
たしかにそうです。どこかの本で読んだのですが、植物にも痛みを感じる器官があるとかないとか、らしいです。そう考えるとたしかに生き物である植物は食べて良くて、動物はだめだとなると種差別に繋がってきます。しかし、こんなことを言い始めるとキリがありません。
“Veganism is a philosophy and way of living which seeks to exclude—as far as is possible and practicable—all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose; and by extension, promotes the development and use of animal-free alternatives for the benefit of animals, humans and the environment. In dietary terms it denotes the practice of dispensing with all products derived wholly or partly from animals.”
https://www.vegansociety.com/go-vegan/definition-veganism
”菜食主義とは、食用、衣料用、その他の目的での動物の搾取や残虐行為を可能な限り排除しようとする哲学と生活様式であり、ひいては動物、人間、環境のために、動物を使わない代替手段の開発と使用を促進するものである。食事に関しては、動物に由来するすべての製品、またはその一部を使用しないことを意味する”
The vegan society ではヴィーガンの定義をこのように定めています。
「〜動物の搾取や残虐行為を可能な限り排除しようとする哲学〜」こういった論争にならないためにも、生き物ではなく動物と記し、一線を引いているのでしょう。
動物を殺したくないなら薬も使うな
新薬やワクチンの開発には主にマウスといった動物が犠牲になっています。僕はこれ自体を悪いことだとは思っておらず、新薬の開発により多くの人間が救われるのであれば意味のある犠牲だと思います。もっと言えば人間に限らず動物の命も助かることにつながるでしょう。
たしかに過激な動物愛護系ヴィーガンの方たちの主張を聞いていたら、「動物を殺したくないなら薬も使うな」と言いたくなる気持ちは分かります。
しかしながら、多くのヴィーガンの人たちの意見としては、「食べるために飼育して殺すのと、科学の発展のために犠牲になるのは違う」だと思います。
また、個人的な印象ですがヴィーガンの方たちは自身で調べて化学物質や化学品に疑いを持ち、なるべく自然由来の商品を使用している印象もあります。
人間は狩猟民族だった
人間は昔、狩猟民族であり、動物を狩って、食べて生き延びてきました。たしかに人類の歴史をたどるとそれはあきらかです。少し健康にも関わってきてしまうのですが、ここでの批判は「狩猟民族だったんだから、人間の体には肉が必要だし、そのために殺すことは悪いことではない」です。
人間の体には肉が必要という意見に関しては健康についてなので今回は触れませんが、それにしてもこの批判には僕は比較的賛成です。生き延びるために他の生物を食らうことは、生き物として自然の摂理だと思います。
ただ一つ思うのは、「それをしなければ生き延びられなかった昔と、そうでない現代を一緒にすべきではない」と僕は思います。
生き延びるために食べることと、私欲のために食すことは同じではないというのが僕の意見です。
野菜をを育てる際に殺す昆虫や微生物はどうなんだ
野菜を育てる際には害虫などが多く発生し、害虫による被害を防ぐためにたくさんの殺虫剤などが使用されているようです。「動物はかわいそうだから食べないのに、収穫までにたくさんの生き物を殺して出来た野菜はたくさん食べるのか」という批判もよく目にします。こちらも一理ある批判ですが、薬の件と似たような意見を僕はもっています。
「なにかを育てるために犠牲にすることと、それを食べるために育てて殺すこと」は同じではないように思います。
放っておけば彼らは野菜を蝕み、野菜の収穫に影響を及ぼします。そうなると人間である我々が野菜を食べられなくなるし、農家は収益を失います。収穫量が減れば野菜の値段が高騰して…と次から次へと問題が起こります。
それを防ぐための犠牲と、商業的な畜産とでは、すこし問題が違うように思えてしまうのが僕の印象です。
ゴキブリは殺さないのか
動物を殺すのはかわいそうというのであれば、目の前にどんなにゴキブリが現れても絶対に殺すなよ。こんな批判も時々目にします。ここまで来るともう議論する意味がないように思えてきます。一応いうなれば、自らの生存のために殺すことと、私欲のために殺すことは話が違うと思います。
ただ、もうこれ以上は先に進めそうにないのでここらへんで批判意見の紹介は終わりにしたいと思います。
食べるために、商業的に家畜を育て、殺すことがおかしい
いろいろな批判やそれに対する意見も見てきましたが、終着点を見つけるとするならばここらへんになるのではないでしょうか。多くのヴィーガン(一部の過激派は除く)の方々は、生きていくということが他の動物たちの犠牲で成り立っていることを理解していると思います。生活上、必要な犠牲は理解しているし、「私はなにも殺さない高潔な人種です」なんて思っていないと思います。
ただ、我々人類が経済の発展とともにあきらかに間違った方向に行き過ぎたことを主張しているだけなんだと思います。
それが、畜産業界に見られる劣悪な環境下での飼育や、商業的な家畜についてです。
資本主義社会のもとに、利益を追求し続けた結果、効率性と収益性のみを考えた畜産業界が増えてしまいました。それによって、食用に殺されるためだけに生きる家畜が生まれてしまいました。
多くのヴィーガンの人たちは、この部分だけはおかしいのではないかと思い、その行動表現として肉を食べていないだけだと思います。かわいそうだからすべての動物を殺さずに…と主張しているヴィーガンはほとんどいないと思います。
にもかかわらず、ヴィーガンに対する批判は、この一部を切り取って、そこに対して論じられるし、そこで語られていることが世間へと広まり、世間からのヴィーガンのイメージが形成されてしまいます。
ぼくはここがすごくもったいないと思い、今回のブログを書きました。
倫理ではヴィーガンは受け入れられない
僕は前からヴィーガンを広めるために、動物愛護を訴えるのは効果的ではないと思っています。(もちろん動物愛護そのものはとても大切だし賛成です)。理由としては、倫理で主張すると反対意見が生まれやすくなってしまいます。その結果哲学のような論争になり、ヴィーガン自身の立場が弱くなってしまうからです。
しかしながら、この領域は動物としての生き方や、それぞれの種や生物としての倫理について考えさせられ、新たな発見も多いのでとても興味深い分野だと個人的に思います。
つまるところ、倫理的な面から考えれば僕はヴィーガンを支持するわけでもないし、肉食を支持するわけでもないです。上記のような商業的な畜産には反対しますが、肉を食べる人を非難するようなことは絶対にしたくないです。
それでもなぜ、僕はベジタリアンとして肉を食べないかというと、「健康的な面での試行」と「環境問題への行動」の2つの理由があるからです。健康に関しては諸説さまざまであり、菜食が健康的かはわかりません。しかし、調べれば調べるほど試して見る価値はあると思えたので、ベジタリアンを続けています。もう一つの環境問題に関しては、おそらく畜産が環境に悪影響であることは間違いなさそうです。菜食のほうが畜産よりは環境に優しいということで間違いないと思います。
総じて菜食主義のほうが世の中のためになると言うのが僕の意見です。オススメはしますが決して強制はしません。
最後に今回の記事を通して伝えたかったことの一つでもある注意をさせてください。
ヴィーガンに関して調べたり議論するときには、ヴィーガンを一括りにすると論点が必ずズレていってしまいます。詳しくはまた記事にまとめたいと思いますが、ヴィーガンには主に「健康」「環境」「倫理」の3つの理由から物事が語られています。
それぞれがごちゃごちゃにならないように整理しながら情報を受け取ってもらえれば、ヴィーガンというものが少しずつ見えてくるのではないでしょうか。
そういったことを気をつけて、倫理的ベジタリアン(ヴィーガン)についてのみ、哲学的に書かれたこの本はとても面白く、新たな視点を与えてくれるのでオススメです。
Twitterでも日々のベジタリアン生活、アスリートとしてのベジタリアン食事などを発信していますのでフォローよろしくおねがいします。
コメント
コメント一覧 (2件)
んー 「農家の利益のために犠牲として殺す」は商業的に殺すのと何が違うのでしょう?農家の利益は守るのに畜産業の利益はまるで無視 ダブルスタンダードに見えてしまいます 結局虫と哺乳類で命を区別しているのではないでしょうか
それ以外の主張は一理あると思いましたが、これだけが浮いて見えました
たしかに私の言葉の表現が曖昧ですね。有機栽培の現状を踏まえたとしても、牛や豚などが狭い牛舎で工業的に飼育されている光景だけが上手く理解できないということを伝えたかったです。