なぜヴィーガンは日本で広まらないのか。−タトゥーの歴史とヴィーガン−

ヴィーガンがなぜ日本では広がらないのか

これを考えるにあたりヴィーガンについてばかり考えていても仕方がないので、他のなにかからヒントを得られないだろうかと考えました。

そして今回、僕が選んだのは「タトゥー」です。

「理屈ではなく先入観やイメージで毛嫌いしている」
そんなところが日本におけるタトゥーとヴィーガンは似ていると思いました。
日本でのタトゥーの文化や歴史を知ることで、日本でヴィーガンを広めるにはどうすればいのか考察をしていきたいと思います。

目次

日本のタトゥー文化・歴史

https://edo-g.com/blog/2016/12/irezumi.html

・日本のタトゥーの歴史はとても古い

・大きく発展したのは江戸時代

・明治政府によって禁止される

・第二次世界大戦後、一般的に受け入れられ始める

日本のタトゥーの歴史はとても古く、縄文時代にはすでに確認がされているみたいです。

江戸時代には鳶職人を中心に体全体を覆いこむタトゥー(彫り物と呼ぶべきらしい)が流行し、当時の鳶職人は勇敢で、人々からもリスペクトされる存在であったために、タトゥーも同じような生き方をしていたと考えられます。

しかし、江戸時代後半になると中国の刑罰を参考にして罪人にタトゥー(入れ墨)を施すようになりました。そして明治政府には海外からの野蛮な印象を持たれないために、タトゥーを禁止されました。それでも、一部の人々にはタトゥーを熱烈に支持され、表舞台からは見えないようにひっそりと生き延びてきたようです。その頃に、隠れてタトゥーを入れていた人たちがヤクザなどのいわゆるアウトサイダーが多く、そこから日本の今のタトゥーに対するイメージが形成されていると考えます。

ちなみに銭湯などでタトゥーの方はお断りとされているのは、ヤクザの方たちをお断りするために始まったものだと言われています。ヤクザの方のほとんどはタトゥーが入っている、ヤクザの方たちがたくさん来ると他のお客さんが来なくなってしまう、でも「ヤクザお断り」とは言えない、ならば「タトゥーお断り」にしよう、という流れだったみたいです。

Tattoo-Friendly
日本のタトゥー史 日本のタトゥーの歴史は古く、遺跡の研究から約16000年前の新石器時代(縄文時代)の人たちは顔面にタトゥーをしていたといわれています。 3世紀の九州地方の漁民は水難か...

日本におけるタトゥーに対するイメージ

和彫りはたしかにいかつい。

・大半の人がタトゥーを入れることに対して良くないと思っている

・約8割はタトゥーを入れたいと思ったことすらない

・少数ではあるがタトゥーを入れたいと思っている

・若年層になるにつれタトゥーへの緩和へ賛成が増える

・日本人がタトゥーを入れることに対して不快感を抱く。
 →外国人のタトゥーには比較的寛容

あわせて読みたい

調べてみたことをまとめるとこんな感じです。
大方予想通りという結果でしたが、思ったよりもタトゥーに対する反対意見が多い印象でした。

意外だったのは、タトゥーを入れている「日本人」にのみ、不快感や恐怖感を抱くということでした。海外の人のタトゥーに関しては文化や風習の理由があると理解しているようで、比較的寛容であるみたいです。

僕が日本で生きてきた経験からも日本でタトゥーを入れることは合理的ではないように思っていました。
特に周りからの評価が著しく下がるからです。タトゥーを入れているだけでどこか反抗的に思われたり、仕事やスポーツ、観光においても生きにくくなる。そこまでしてタトゥーを入れたいという気持ちは正直ありませんでした。

海外でのタトゥーのイメージ

想いが込められている。

・タトゥーがあると仕事などで不利に働くと思われている

・タトゥーは野蛮、下層階級、反抗的というイメージがまだある

海外におけるタトゥーのイメージは僕が抱いていたものとは異なり、意外な情報が見つかりました。

こちらの資料からです。けっこうおもしろいです。

アメリカ TATTOOS IN THE WORKPLACESTATISTICS には、76%の被雇用者が、タトゥーやピアスが原因で採用面接がうまくいかないと感じているというデータがある。

http://www2.kuma.u-tokai.ac.jp/keieikiyou/wp-content/uploads/2020/03/2019-3-Fujioka.pdf

アメリカに限らず、西洋の国々では職種によっては「タトゥーはふさわしくない」という考えがまだ強いようです。
個人の自由として寛容であるべきと皆が理解はしているものの、実際にはタトゥーを入れている人に対して良いイメージを持てていないということが分かりました。

これは僕が海外で生活していたイメージとは反対でとても意外でした。
ニュージーランドにいた頃はイギリスを始めとしたさまざまな国籍の人たちが周りにいたのですが、タトゥーを入れている人達も多かったです。タトゥーを入れた理由や意味を聞くと、「家族」「信念」など自分が大切にしていることを刻んでおく意味でタトゥーを入れる人が多く、僕は素敵だと思っていました。
銀行や警察で働いている人でもタトゥーをしている人がいて、職種に限らずタトゥーは受け入れられているものだと思っていました。

ニュージーランドにはマオリという先住民文化があり、彼らには特有のタトゥー文化も存在しています。
それもあって、ニュージーランドは他国と比べても寛容であった可能性があるかもしれないと思いました。

日本でもタトゥーはもっと受け入れられていく

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/post-13035.php

2019年、ラグビーワールドカップ
2021年、東京オリンピック

この2つの国際大会をきっかけに、日本でも銭湯などでタトゥーを緩和すべきという運動が強くなりました。僕はこの流れはもっと強くなっていくと思います。理由は2つです。

タトゥーがいけない理由はない

「なんでタトゥーを入れてはいけないか」こう子供に聞かれて納得できるように答えられる人がいますでしょうか。
「なんで奇抜な髪型はだめなのか」こんな校則がある理由を聞かれて、しっかりと答えることが出来る先生がいないのと同じです。

要は、タトゥーは今、「理屈ではない部分で拒絶されている」段階です。

僕なりの解釈ですが、拒絶されているというより、みんなでタトゥーに手を出させないようにしているような感じがします。どういうことかというと次の理由にも繋がってきます。

「クール」だから

僕が学生だった頃、よく部活で部員全員で坊主にさせられていました(今思うとあれは結構ハラスメントな気がする)。罰によって全員坊主と言われると面白い心理現象が発生します。主に集団は3つのグループに分かれていき、

「先立って坊主にする勇者」
「周りに合わせて坊主にする追従者」
「最後までねばる頑固者」

こんな感じになります。最後までねばるのはごく少数なのですが、メンタルも強い人が多くみんなが坊主にしている中、すこし洒落けづいて、おしゃれ坊主に仕上げてきます。なんで彼らが最後の最後まで坊主にするのに反抗し粘るかと言うと、坊主が「かっこよくない」からです。クールじゃないからです。

そして本当に面白いのはここからで、既に坊主にした大半の人たちは、このおしゃれ坊主を徹底的に叩き阻止を図ります。理由は「嫉妬」です。坊主にしてしまった人たちは、おしゃれ坊主がクールであることに嫉妬し、悔しいので道連れにしようとします。
部員が全員坊主になるまでのここまでの一連の流れと結末になにも本質はありません。ただ、見た目が全員一緒になってスッキリするだけです。

坊主の話が長くなりましたが、僕の意見ではタトゥーも同じ段階に来ていると思っています。
タトゥーはクールです。ここは疑いようがありません。
特に日本のタトゥーは歴史も長くオリジナリティがあるので世界中でもクールとみなされています。僕のニュージーランドでの友達も「Japanese Tatooはクールだよね」といい、次は龍のタトゥーをいれると張り切っている人が数人いました。

なんで長々と坊主の話をしたかと言うと、タトゥーも同じことが起きているからです。
タトゥーを入れている人をみると、それが「クール」に見えます。
ですが仕事や周りからの視線を気にすると自分は入れることが出来ず、そして嫉妬をします。嫉妬をすると何をするかと言うと、必死になってタトゥーをすることの生きづらさを主張します。ですがここに本質はないのです。

日本でも理不尽な校則がおかしいという声が上がり始めたり、野球部が坊主である必要はないということに気が付き、それをやめるようなムーブメントが起きています。つまり、本質のないルールは遅かれ早かれ壊されていきます。

なので僕はタトゥーに対する規制や拒絶も緩和されていき、日本でもタトゥーがもっと受け入れられていくと思います。

ヴィーガンも「クール」であればもっと受け入れられる

veneziafc(サッカーも同じ流れ)

タイトルにヴィーガンというワードを掲げておきながら、ここにきて初めてヴィーガンというワードが登場しました。
僕はタトゥーとヴィーガンは似ているところがあると思っています。

タトゥー自体が悪いわけではないのに、なんかタトゥーに対して悪いイメージがあるように、
ヴィーガンが悪いわけではないのに、どこかヴィーガンを毛嫌いしているような印象を抱きます。

時に、ヴィーガンの人を怪しい目でみるようなこともあるのではと思います。

なぜそのようなイメージになったのかは分かりませんが、一つはヴィーガンの人たちの過激な主張があるのではないかと思います。
「環境問題がやばい」とか「動物を殺さないで」とばかり訴えていても、人は先の将来のことは考えられないし、自分が嫌なことをしていることからは目を背けたくなります。
その結果、「肉食と環境問題は関係ない」という主張に一生懸命になったり、「生物をなにも殺さずに生きていけると思うな」などという最もな反対意見を押し付けヴィーガンを否定します。

っとそれでは日本ではヴィーガンは広がっていきません。肉や魚の料理が世界よりも美味しいし浸透しているのでやめるのが大変だからです。

関係ないですが先日美術館で買ったこの本も8割は見た目で買いました。

では、どうすればいいのか。

ヴィーガンも「クール」であるべきなのです。

タトゥーがクールであると思われ、徐々に受け入れられ始めているように、ヴィーガンもクールであればもっと多くの人に浸透していくと思っています。
実際に僕が海外で抱いたヴィーガンに対するイメージは、日本のそれと比較するとクールでした。ヴィーガンをやっているほど、環境問題などに関心があるし、リテラシーも高いです。自分の意見をしっかりと持っていて、その表現の一つとしてヴィーガンを行っている人が多かったです。僕はそんな人達が素敵に思え、クールだと思っていました。

「ヴィーガンは宗教だ」なんて言われていては駄目です。
「ヴィーガンはファッション」です。

ヴィーガンがクールであれば肉魚の食文化の美しい日本でもヴィーガンが受け入れらていくのではないのでしょうか。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Vegetarian x Athlete.
Football player in Australia(NPL South Australia).
Interested in Environment issues.

コメント

コメントする

目次
閉じる